●あの日、あの夜の誓い●



「ん~いい天気♪」
洗濯物を取り込み、まぶしいくらいの日差しを浴びて大きく伸びをする。
冬の寒さはドコへやら。冷たかった空気が嘘のよう。
すっかり春らしくなった優しい青空に、ちぎった真綿のような白い雲がほんわりと浮かんでいる。
「こうして少しずつ、春は確実にやってくるんだわ」
ひくひくと鼻をうごめかせれば、どこからか沈丁花の匂い。
身も心も軽くなり、鼻歌なんぞ歌ってみたりする。




リビングで日向ぼっこがてら洗濯物をたたみ、タオル類をキッチンとバスルームに。
リョウの物はまとめてリョウの部屋にとそれぞれを片付け、ようやく自分の部屋にたどり着く。
今まで寒くて、家中の窓も扉も閉め切ったままだったので、せっかくの暖かい日だからと、
今日は換気のためにあちこちの窓や扉を開け放っていた。

その開け放った自室の扉から光が差し込み、廊下にキラキラとした光の輪が漏れていた。
「…何だろ…?」
いぶかしげに自室に入ると、ベッドサイドに置かれた写真立てに太陽が反射して、
部屋中にその光を煌かせていたのだった。

「ふふふ…アニキも日向ぼっこしてるの…?」
写真立ての兄がにこりと笑ったようで、思わず笑みがこぼれる。




「こんなお天気の日はちょっとしたピクニック気分で、お弁当作って、公園に行ったわよね。

刑事なんて忙しい仕事してて、私が一人で淋しくないように…って。
ホント、優しいというか気を使いすぎるというか…私のこと、色々考えてくれてたよね。ありがとう、アニキ…」
と、写真立ての兄の顔をつついてみる。



今思えば、こんな春の陽だまりのような兄だった…と、そのまぶしい光に眼を細めながら思う。

どんな時もいつも私のことを第一に考えてくれて、私のわがままなら、どんなことでも聞いてくれた。
そんなアニキが大好きで、大人になったら今まで甘えてた分、思いっきり兄孝行するつもりだったのに。
それなのに…そんなささやかな願いすらも、邪悪な者たちの手によって無残にも散らされてしまった。
「アニキからもらうばかりで、私…何ひとつ返せなかった。ゴメンね、アニキ…」
気がついたら、涙で写真の中の兄が揺らいで見えた。




「君のアニキは…殺された!!」

私の人生の歯車が、狂った瞬間。
あの日、私の二十歳の誕生日を祝ってくれるはずの、あの日…
アニキはとうとう、帰ってはこなかった。

そして翌朝、訪れたリョウが私にそう告げた。




アニキが、死んだ…?
どういうこと?
何があったの?
私はこれから、どうすればいいの…?
アニキは今、どこにいるの…?




さまざまな感情が一息に押し寄せて、足元が不意に揺らぐ。
その瞬間、リョウの強いまなざしに気づいた。
私をいたわるような優しさと、パートナーである兄を殺したヤツラへ向けられているであろう、
強い怒気を含んだまなざし…。

あぁ、リョウもアニキの死を悼んでくれている…私一人が、悲しいんじゃない…。
そう思ったら、崩れ落ちそうな気持ちを保つことが出来た。
そして気がついたら、こう言っていた。
「アンタには…新しいパートナーが必要でしょ」




ユニオンのブラックリストに載った私は彼らに命を狙われているからと、私はリョウのアパートに引っ越した。

そして悲しむ暇もなく、アニキの敵を討つためにリョウの手伝いをした。
すべてを終え、ユニオンが日本での組織拡大から手を引いたあの夜…
気がつかないうちに張り詰めていた緊張感がフッと解けたのか、
部屋に入ると扉にもたれ、そのままズルズルと座り込んでしまった。




シンと静まった一人ぽっちの部屋が、肌に冷たい。
その冷たさが…兄が死んだと、お前は一人ぽっちなのだと告げているようで、思わず身震いがする。
遺影なんて言葉は嫌だけど、いつもアニキに傍にいて欲しくて、見守ってて欲しくて、
ベッドサイドのテーブルに写真立てを飾った。

その写真の中の兄が、暗い部屋の中で笑っていた。
それはいつもの温かく優しい笑みではなく、月の光を浴びた硬く無機質なガラスの中から
私を凝視するような、冷たい微笑み…。




―――ブルリ。

身体が震える。
アニキは…アニキはドコ…?
写真立ての中のアニキではなく、本当の、本物のアニキに抱きしめてもらいたかった。
淋しい時、辛い時、いつも優しく抱きしめてくれた温かいアニキの胸に…。




「君のアニキは…殺された!!」
…リョウの言葉が甦る。
「アニキが…死ん、だ…?私は、一人ぽ…っち…」
どうしようもない寒さに身体が震え、自分で自分をギュッと抱きしめて、
暗い闇を追い払うかのように固く閉じた。

眼裏(まなうら)に、兄の優しい笑顔が浮かぶ。
「…香」と声を聞いた気がして目を開けるものの、
目の前に広がるのは月に照らされた写真立てと、暗い室内ばかりだった。

「アニ…キ…」
ふいに鼻の奥がツンときて、目の前がぼやけ始める。
目の淵に何かの重みを感じ、それが零れ落ちそうな涙の重さだと気がついた。
そうするうちにも、部屋の冷たさに反比例するかのような熱い涙が、次々と頬を伝っていく。




「…ひっ…く…っ」

口を突く泣き声。
「ひっく…ひっ…くっ」
一度始まった嗚咽は止められるものではなくて、
まるでひきつけを起した子供のようにしゃくりあげ続ける。

次から次へとあふれる嗚咽に、苦しくて息が継げない。
身体を丸め、まるで嘔吐するかのように背を波立たせる。
頭の中は真っ白なくせに、身体の芯は燃えるように熱い。




「ひっ…くっ…ひ、ひっ…っく…」

泣き続ける眼裏(まなうら)に、優しい兄の顔が浮かぶ。
遅刻しそうな私を追い立てる、少し困ったような顔。
焦がしたフライパンに、しかたないなと苦笑する顔。
徹夜明けでも、ちゃんと朝ごはんは一緒に食べてくれた…。
耳に残るのは、陽だまりみたいに優しい声。
…香…香っ!
そういえば、一度だって怒鳴られたこと、なかったな…。
私を優しく包み込む、温かな声…。
頭のてっぺんに、温かく大きな手を感じる。
いつまでたっても子ども扱いで、何かあると私の髪をクシャリと撫でていた。
嫌がるフリをしてたけど、その大きな手に、いつも安堵していた。




両親を亡くした私にとって…たとえそれが、血の繋がらない関係だったとしても。
それでもアニキは、私にとってかけがえのない、たった一人の肉親だったから。
その大きな温かい手は何にも代え難い、大切なものだった。
そのはずだったのに…今はもう、その温もりを永遠に感じることが出来ないなんて…っ!!
どうしようもない喪失感と、言いようの無い悲しさと、
止めることが出来ない嗚咽に、どうにかなってしまいそうだった。




苦しい…このままアニキのもとへ行けたらいいのに…
そう思った瞬間、後ろからふわりと、温かな腕に抱きしめられた。

泣き続けて真っ赤に腫れているであろう目でその腕を辿っていくと、そこにはリョウの顔があった。
「ひっく…ひっ…くっ…」
どうしてココに?と聞きたいのに、言葉にならない。
そんな私を察したかのように、リョウは私の身体をクルリと自分と向き合わせ、その大きな胸に抱き寄せた。
そしてまるで子供をあやすように背中を擦ると、もう片方の手で優しく髪を撫でていく。
その大きな手も温かさも、まるでアニキそっくりで…
その背に髪に、生命(いのち)という温かさを感じて…。

自分では止められることの出来なかった嗚咽が、徐々に収まっていった。




アニキと同じように私を包んでくれる温かさに、言いようの無い安心感を得る。
私は一人ぽっちじゃない…アニキが信じたこの男を…リョウを、私も信じていこう。
リョウと一緒に、生きていこう…そう決めたのだった。




―――バサリ。
ふいに視界が暗くなって、現実に引き戻される。
慌てて周囲に手を動かすと、どうやらすっぽりと毛布を被せられた様子。
グルグルになった毛布からやっとの思いで顔を出せば、そこは私の部屋で…。
そして背後から、低い声が響いた。
「まだ寒いってぇのに窓もドアも開けっ放しで、ボーッとしてんじゃねぇよ。風邪ひくだろ」
振り返れば、そこには仏頂面の同居人の姿。
「…リョ、リョウ…」




「何がリョウだ。こんなトコでボーッとしてたら、いくらお前がバカでも風邪ひいちまうぞ。
風邪ひいたお前の看病なんて、まっぴらゴメンだからな!!」
相変わらずの憎まれ口。
でもその中に、私への優しい気遣いがこもっているのをしっかりと感じる。
そして先ほどまでの思い出を…リョウに抱きしめられ、
その厚い胸板で泣いた日を思い出して、妙に照れくさくなった。

「悪かったわね!どうせ私はバカですよーだっ!!」
「ふん…それだけ元気がありゃ、大丈夫か。
それよか早いトコ、メシにしてくれ。リョウちゃんナンパしまくって、もうお腹ぺっこぺこ~」

と、言い返す間もなく扉を閉め、部屋を出て行った。




窓の外を見ればすでにとっぷりと日は暮れて、
開けっ放しの窓からは、春はまだもう少し…という冷たい風が吹き込んでいた。

寒さにブルリと震え、毛布を身体に巻きつけて慌てて窓を閉めた。
ふと見れば、写真立ての中からあの頃と変わらない笑顔のアニキがいる。
「アニキ…心配しないで。私は大丈夫だから。私は、一人ぽっちじゃないもの。
ちょっとひねくれて素直じゃなくて、意地っ張りの天邪鬼なヤツだけど…。
でも、アニキみたいにいつも私のことを考えて…いつも大事に、守ってくれる人がいるから…。
だから私、リョウと一緒に生きてく…ね…?」
ちょっと照れくさそうに微笑むと、写真の中のアニキも嬉しそうに微笑んでくれたように見えた。




「おぉ~い、香!メシーっ!!」
扉の向こうのリビングから、大きな声が聞こえてくる。
やれやれと思いつつ、今日はちょっと特別に、
リョウの好きなものでも作ってあげようかな…なんて思ったりして。

よいしょと毛布を片付けて、大きな声で返事をした。
「待ってて、リョウ。今、支度するから!!」




END   2005.3.29