●レモン●



ピピッ、ピピッという音のした体温計を素早く取り上げる。

それを不安げに見守る香にチラと視線をくれて、ニヤリと笑った。
「………36.8℃、やっと落ち着いたな」



ターゲットを待ち伏せていた街角。
俺が情報収集に出かけている間に、雨は霙まじりになって。
隠れる場所も無い吹きっさらしのその場所で、香はすっかり濡れ鼠になりながらもじっと耐えていた。
そして仕事が終わるまでは何とか持ち応えたものの、仕事の終了と同時に倒れてしまったのだ。
それから5日ほど、38℃と39℃の間を行ったり来たり。
そして今日、朝の検温で、やっと36℃台までに回復したのだった。



「うん、もう大丈夫よ。今日からもう、普通に動けるわ」
「バカ言うな、もう一日寝てろって」
「そんなコト言ったって……寝てるの、もう飽きちゃったし」
「飽きる飽きないじゃねーだろ。それに、ココで無理して起きたら…」



またもや寝つくコトになるんだぜ?
これ以上心配させてくれるなよ……などとは、口が裂けても言えなくて。
「俺や、看病に来てくれた美樹ちゃんに、また迷惑掛ける気か?」
……などと、キツイ言葉を吐いてしまう。
「…………………」
「………な?今日一日だ。それくらい我慢しとけ」



唇を突き出して、香は子供のように頬をふくらませたけれど。
それでもこの数日、自分がどれだけ周囲に気をつかわせたかを感じ取って。
そしてふぅと、諦めの吐息をついた。
「……うん、わかった。もう一日寝て、完璧に治す。でないとココまでしてくれた美樹さんに、申し訳ないモンね」
「…そーゆーコト。だからせめてあともう一日、大人しく寝とけ」
「……はぁ~い……」



それでもせっかく起きられると思ってただけに、ちょっとばかりつまらないと思った心が、その表情(かお)から覗き見える。
少ししょぼくれ顔の香の頭を、ポンポンとあやすように叩いた。
「んじゃ、伝言板見て、タコんトコ寄って。ちょいと顔出してくるわ」
「うん、美樹さんにお礼言っておいて?それと、海坊主さんにもよろしく…って」
「……おう。お前も大人しく寝てろよ?」
そう言って、口元までしっかりと毛布を掛けてやれば、「ふふふ」とはにかむように笑う。
普段はそんなコトしやしない俺だけに、香の方も何だか照れたように、熱とは違う色でその頬をそめていた。



伝言板には、相変わらず依頼は無くて。
タコんトコに顔を出して礼を言い、真っ赤な顔をしたヤツから、香への見舞いだという手土産を渡された。
タコの落ち着きの無い素振りが何だか妙に気味悪かったが、その後、アパートへ帰る道すがら。
俺の顔を見てウヨウヨと集まってくるヤローどもを見て、その表情(かお)にも納得がいった。



……そう、今日はホワイトデーだった。
香が風邪で寝込んだという噂は、すでに街中に広く広まっていて。
その病状を心配したヤツらからの、ホワイトデーのプレゼントを預かったというワケだ。
そういう俺自身はといえば、香が寝ついてからというもの、そればかりが気になって。
日付の感覚も何も、ありゃしねぇ。
だから今日が3月14日だったなんてのも、全く気がつかなかったワケで。
……さて、どーすっかなぁ……。
…といって、何をと目的があるでもなく、ただブラブラと街を歩けば、またもや新たなヤローどもに声を掛けられて。
その度にまた少し、腕に抱えた紙袋が重くなる。



おいおい、どうすんだよぉ~……っつーか、俺はどうすりゃイイんだよぉ…。
そう思って頭を抱えつつ歩いていた街角の、とある店先に目が行った。
……うん…これでイイ、か……
店先で幾ばくかの小銭を払って、やたらと重くなるばかりの紙袋の中に、小さなそれを滑り込ませて。
少し軽くなった足取りを、アパートへと進めた。



「ふぃ~……たらいまぁ~………」
紙袋の重さにゲンナリしつつリビングに向かえば、ただシンと静まるばかり。
どうやら香は大人しく寝ているようで、そっと部屋を覗けば、すやすやと穏やかな寝息が聞えた。
顔色もよく、ここ数日苦しげだった息遣いも穏やかで。
もう大丈夫だな…と、一息つく。
枕元に腰を下ろせば、ギシリときしむスプリングに目覚めた香が眠たげな目を泳がせて。
俺の姿を見止めて、安心したように微笑んだ。



「あ……おかえり、リョウ……」
「おう……キチンと寝てたか?」
くしゃりと髪を撫でれば、にこりとはにかんだように笑う。
その幸せそうな笑顔に、知らず、口元が緩んだ。
「ん…ちょっとだけ、探検した」
「……………探検?」
ぺろりと舌を出しながら、香がふふふと楽しそうに笑う。



「寝てる間に、美樹さんがどれくらいしてくれてたのかな…って気になっちゃって。
でもすごく綺麗にしてくれてて、うれしかった」

「ンなの、当たり前だろ?美樹ちゃん、お前より口煩かったからな」
「ふふふ……そうみたいね。脱衣所のリネン棚のタオル……あれ、しまったのリョウでしょ?
表面がデコボコなんだもの。すぐわかっちゃった」

「あぁ……あれは美樹ちゃんが、“香さんの看病もロクに出来ないなら、少しくらい手伝ってちょうだい!!”
…って突き出されて、已むを得ず……な」

「ふふふ……私がいくら言ったって、手伝ってくれやしなかったのに。今度からは、美樹さんに頼もうかな~」
「……ゲッ!!やめろよな、バカ」



冗談交じりの会話を交わす……そんな当たり前のことなのに、それが妙に久しぶりな感じがして。
その居心地のよさにホッとする自分がいた。
「ふふ…もうこれで大丈夫。明日からはちゃんと起きるわ」
「あぁ……だが、無理しない程度にしろよ?」
「……ん……ありがと」



…と、その視線が俺の足元に走る。
まぁ、これだけのデカイ紙袋がスッ転がってりゃ、いやでも目に入るよな。
「……てコトで、土産だ。街のみんなから、バレンタインのお返しだとよ」
「うわぁ~……そんなたいしたコトしてないのに……。でも、嬉しいv」
大きな目をキラキラと輝かせて袋を手に取る姿は、まるでサンタクロースからプレゼントを貰う子供のようだった。
いつまでたっても、ガキのような表情(かお)を見せる……。
まぁそれが、コイツの魅力のひとつでもあるんだろうが……なんてコトは、言えやしない。



「うわぁ~美樹さんトコのケーキね?美味しそうv リョウ、後で一緒に食べよ?」
「うぇっ…俺、甘いもん、苦手ぇ~」
「コレ、そんなに甘くないよ?リョウ好みだと思って、レシピ聞こうと思ってたんだv」
ケーキを見ながら、何気に言ったセリフだろうに。
……嬉しいコト言ってくれるじゃねぇか……と、照れくさくなってそっぽを向いた。



「これは…はミックね。あー…欲しかった口紅!!ちゃんと覚えててくれたんだぁ~v」
……ムカッ!!覚えてたって、何だよ。
俺の知らないトコで、いつ、そんな話をしたんだっーの!!
と、思わずこめかみに青筋が走る。



「コッチは轍さんで、こっちは賢さんで、こっちは………」
白地の小箱に鮮やかなブルーのサテンのリボンが巻かれたものだったり、
ふんわりとしたレース模様の薄紙でクルリと絞られたものだったり。

綺麗なグラデーションの包装紙を美しく帯状に折り上げられたものだったり、
シンプルなクラフトの包装紙に、可愛いギンガムチェックのリボンが巻かれたものだったり…。

ヤローどもがどんな顔をして買ったのか、想像もつかないような。
そんな可愛いラッピングが施された小さなギフトボックスの数々を、香は嬉しそうに膝の上に並べた。



「どれが誰のだかわからなくなりそうだったんで、それぞれに贈り主の名前を書かせといたが……正解だったな。
こんなにたくさんじゃ、いくら俺だって覚えきれねぇよ。」
「ふふふ……おまけに重かったでしょ。ありがと、リョウv ……っと、コレは?」
別包みにしておいた袋を開ける香。
中から出てきたのは、贈答用に詰められた真っ赤なイチゴ。
小さな箱に、これまた小さなイチゴが綺麗に詰められていて。
カーテンから洩れ入る夕陽を受けたそれは、一足早い春の光を纏って、艶やかに輝いていた。



「あぁ、高田フルーツのオヤジさんだよ。お前が風邪ひきで寝てるって言ったら、ビタミン剤代わりだってさ」
「うわぁ~嬉しいv ねぇリョウ?早速このイチゴ、食べようよ。
お砂糖掛けて牛乳入れて、軽く潰して食べると美味しいんだよね~v」

少し残る熱のせいか、いま少し潤んだままの上目遣い。
コイツ、俺がそれに弱いの知ってて、ワザとやってねぇか……?
「ンな甘えた、俺が聞くとでも思ってんの?」
心にも無い憎まれ口を叩けば、とたん、ぷぅと子供のように頬をふくらせる。
「いいじゃない!!今日までは風邪引きさんなのっ!!安静にして、明日には絶対よくなってるから……ね?お願い!!」



だぁーかぁーらぁー……。
その瞳(め)でウインクなんかすんなってーの。
反則だろ、それはっ!!
ちっ……と舌打ちし、香の手からひょいとイチゴの箱を取り上げる。
「へーへー。お姫さまの仰せのままに……」
「わぁ~いっ♪」
両手を上げて子供のように喜ぶ香に苦笑しつつ、扉を閉めて部屋を後にした。



「ふふふ……こぉ~んなにたくさんのプレゼント貰っちゃった。もう、幸せぇ~vvv」
ベッドの周囲は、あふれんばかりのプレゼントの山々。
リョウは優しいし(もちろん、私が風邪を引いてるせいもあるのだけど)、何だかバチが当たりそう……。
そんなコトを考えてたら、全部開けたはずの紙袋の底が、妙な形で脹らんでいるのが目に止まった。
「ん………?まだ何か入って………?」



ガサリと音をたてて紙袋に手を入れれば、掌に包めるくらいの小さな何か。
この大きさと感触は、えぇっと……。
「レ…モン………?」
紙袋から取り出したそれは、掌にちょうどすっぽりと納まる大きさで。
蛍光灯の灯りの下にも美しく鮮やかな色彩を放つそれは、見ているだけでも元気が出てきそうだった。
「レモン一個……誰だろ……」



リョウが気を利かせてそれぞれの名前を書かせたらしいけど、さすがにコレには、名前は無くて。
ホワイトデーの贈り物は、どれもこれも、可愛らしいリボンやラッピングのものばかり。
その中で剥き出しのままのレモンが、何だか妙に心に残る。
「………………」
いぶかしげに顔に近づけ匂いを嗅げば、何とも爽やかな柑橘系の香り。
あら?でも、これは………。
クン……と、もう一度注意深く匂いをかげば、独特の酸っぱい匂いの中に、何かとても身近な匂いを嗅ぎ取った。
「リョ……ウ…?」



手の中に握り締めていたのか、はたまたコートのポケットにでも入れていたのか。
レモンの匂いに紛れているのは、毎日身近く嗅いでいる男の汗とタバコの“それ”だった。
リボンも可愛い包装紙も無い、素っ気無いまでの剥き出しのレモン。
それは病の自分を案じる、リョウの心からの想い。
そのひどく飾らないままが、何ともリョウらしかった。



「もう…。ひとこと言う……ってのが、出来ないものかしらね。でも、そんなリョウだから………」
くすりと笑って、掌に包んだレモンにキスを落とす。
そしてふと思い立って、ベッドから起き上がって、扉を開けて。
スリッパをパタパタと、わざと大げさに響かせながら、キッチンにいる男に声を掛けた。
「ねぇリョウ?イチゴより、このレモンでホットレモン作って?」




END    2006.3.11