●チョコレートの行き先は●



「どうしようかなぁー………」

愛用の書類ケースを見つめて、ほぅとため息。
そして意外にも大きなそれに、慌てて口元を覆った。



買い物がてらにブラリと入ったデパートは、バレンタインカラー、一色で。
入り口から続く特設ブースには、チョコレート特有の甘い匂いと、
あふれんばかりの女の子たちでにぎわっていた。
そして、特に用はなかったくせに……その気も無かったくせに。
いつの間にか……綺麗にラッピングされたチョコレートをひとつ、買ってしまった。



毎年のバレンタインには麗香と二人、お父さまへチョコレートを贈っていた。
娘たちからのそれが気掛かりで、2月に入ったとたん、急にそわそわしだして。
新聞や雑誌に載せられたその手のページを、さりげなく目に付くところにおいていたり。
プライベートはもとより、署内での会話の合間でさえも。
その態度にその言葉尻に、さりげなくアプローチを仕掛けてくるんだから……
ホントにこんなのが警視総監で、日本は大丈夫なのかしらね……?



中高、大学、そして警察学校時代にと、気になる異性がいないわけじゃなかったけど。
それでも、バレンタインに乗じてチョコレートを贈ろうだなんて思う人は……
そこまで心動かされるような男性とは、ついとお近づきになれなくって。



成績優秀、自分で言うのもなんだけど、眉目秀麗。
そして何より、当時から次代の警視総監と噂されていた、お父さまの娘……。
……と、表立ってこそ言われなかったものの、そんなのがネックになって。
自分から近寄って来ようだなんて勇気ある男性に恵まれなかったのは……不運といえば不運よね。
そんなこともあって、この年齢にしては珍しく。
バレンタインに父親以外の男性にチョコレートを贈ったことがない……そんな女になっていたわ。



そんな……そんな、傍から見れば、ちょっと淋しい女だったこの私が。
それでも何を気にするワケで無く、仕事一筋と打ち込んできた、この私が。
どういった弾みなのか……何がきっかけだったのか。
お父さまに贈る以外のチョコレートを……買ってしまったのだ。
贈る相手もいないくせに、何をバカやって……と、思うものの。
綺麗にラッピングされたそれを見れば……ふと目に浮かぶのは、一人の男性。



初対面は、最悪だった。
ヨレヨレのコートに、寝癖も直さないボサボサの髪が煩そうに額に掛かる。
そして誰をおぶっているのかと疑ってしまうほどの、ひどい猫背。
いくら仕事の良し悪しと見掛けは関係ないとは言え、
これはちょっと……でしょう………?



そのくせその見掛けに似合わないほど、ものを見る目はひどく冷静で。
じっと黙って、独り、何をブツブツ言ってるのかと思ったら、
メガネの奥の瞳をきらと光らせて、鋭い推理を閃かせて。
そしてひとたび、犯人と対峙すれば……軽やかな身のこなしと、目にも鮮やかな銃捌き。
これは……この男は、いったい………?



そうかと思えば、普段はお人よし過ぎるほど、優しく穏やかなまなざしで。
道で出会った迷子の親探しを、自らかって出たり。
事件の被害者や遺族ばかりか、残された犯人(ホシ)の家族の心のケアに努めたり。
しかもそれが実にきめ細かで、非の打ち所のないような、あたたかなものだったから……。
警察官と市民との垣根を越えて、彼はみなに愛され、そして慕われていった。



そしてその付き合いの流れで自然、親しくなった私に、彼がぽつりぽつりと語った家族の話。
早くに亡くした、母親のこと。 
彼と同じようにあたたかで、市民から愛され慕われていた、警官だった父親のこと。
そしてその父親が、殺人犯の残した娘を養女として引き取ったこと。
父親亡き後、今はその“妹”と二人で暮らしているのだということも……。



そんな一面を見たせいか……
もしかしたら、出会った時から心に何か、引っ掛かるものを感じたのか。
気がつけば、いつの間にか……彼の姿を目で追うようになっていた。



コンビを組むようになり、その人柄をより深く知るようになってからは……始終、やられっぱなし。
親の七光りと思われたくなくて、弱いところなどカケラも見せず、常に突っ張って生きてきた私に。
「そんなに肩肘張る必要は無いだろう?キミは“キミ”だ」……だの、
「そんなに突っ張ることは無い。もっと肩の力を抜いたらどうだ?」……だの。
他の誰もが、そうと思っていても、口の端にすら上らせなかったそれらの言葉を。
彼は嫌味なく、サラリと自然に言ってのけた。



他の誰かが同じセリフを口にしようものなら、カチンときて、
頭ごなしに、敵意剥き出しの言葉を並べ立てかねない私だったはずなのに。
彼の言葉は、私の心にすんなりとしみこんで。
それがとっても気持ちよくて……嫌じゃなくて。
そして気づけば……警視庁の女豹と言われたほどのこの私が、
彼の前では心を覆う鎧を脱ぎ捨てて。
一人の少女のように、はにかんだ笑みを浮かべるようになっていた。
そして私自身も、そんな“わたし”を可愛いと思えるようになっていた。



だから手元にある“これ”は。
その贈る相手は……必然的に、彼・“槇村秀幸”当人しか、いるはずがなくて。
それでもやっぱり、バレンタインのチョコレートをお父さま以外の男性(ひと)に贈るなんて。
そんなの、生まれてこの方、初めてのことなので……不覚にも緊張。
でも、コンビを組み、常日頃そばに居て。
互いに憎からず相手を想っているのは……いくら恋愛初心者といえど、それくらいはわかるってものよ?



だから今日、この日。
どうしてもチョコレートとともに、この想いを伝えたい。
あなたの傍なら、誰より素直で可愛い女になれる……そう、思うから……。



そう意気込んで、もう少しで外回りから帰るという槇村を待ち続けること15分。
特にこれといった事件もなく、定時を過ぎた捜査一課に残るのはもう、私と幾人か。
そして槇村のデスクには、主の帰りを待つ、その持ち主に似た、少しよれた鞄が乗っかっていた。
もう少し……もう少ししたら、槇村が帰ってくる。
そうしたら……そうしたら、私………。
ドキドキドキ……高まる胸の鼓動を落ち着かせようと、すぅと息を吸い込んだところへ、
ギィと扉を開けて、いつもの猫背のままの真打登場。



「ただいまぁ~……っと、あれ?もうみんな、結構帰ってんだな」
「……お、おかえりなさい、槇村。そうね、みんなもう、帰っちゃったみたい」
「そうか……事件のないこんな平和な日は貴重だもんな。早く帰りたい気持ちもわかるよ。
……冴子?君はこれからどうするんだ?」
「あ……っと、私もそろそろ、帰ろうかな~……なんて」
「ふぅ~ん……じゃぁ、そこまで一緒に行こう。ちょっと待っててくれ」
「……え、えぇ……いいわよ?早くしてね?」



どうやって誘おうかと、今日、今この瞬間まで考えあぐねていたそれが、
思いもかけず願ったり叶ったりで、ビックリ仰天。
こんなにうまく行くこともあるのね……と、神様にそっと手を合わす。
そうこうしてる内にも、槇村はデスクの上の鞄を開け、何がしかの書類を手に取った。



「これを部長のデスクに置いてくれば、もう今日は御役御免なんだ……っと、あれ……?」
「……………?…………」
鞄から束ねた書類を取り出して、にっこりと笑った槇村が、
再び鞄に視線を落とし、何やらと首を傾げる。
「………?なぁに?どうしたの……?」



「これ……何だろう?」
そう言って槇村が鞄から取り出したモノは、
可愛らしい花柄の包装紙に、サテンのリボンの掛かった小さな包みと。
グラデーションが綺麗なシフォンを幾重にも重ね、大ぶりのリボンで縛った包み。
そう……その色からして、形からして。
そして今日この日が、何の日たるかを考えれば。
それは誰がどう見たって、バレンタインのチョコレート……。



「“先日はありがとうございました・交通課女子一同”……って、あぁ、自転車泥棒の、あのことか。
“この間は本当に助かりました・庶務課女子一同”ってのは……
あぁ、防犯の相談に来た、耳の遠いおばあさんのことかぁ~」



何やらブツブツと言っている割に、当のそれらがバレンタインのチョコレートであるという、
肝心要のトコロには、トンと気づかない様子で。
添えられたカードの文面から察するに、それらが所謂義理チョコどころか、
お世話になったお礼の範疇にしかならないというのも、わかってはいるけれど。
それでも、槇村の鞄からチョコレートが出て来たことが……
槇村の優しさが、私以外にも普通に分け与えられるようなものだったらしいということが。
それが余計……私の癇に障った。



「あぁ……こんなの、別によかったのになー。じゃぁ冴子、帰ろうか」
「……ごめんなさい、槇村。私、急用を思い出したから……お先に失礼するわ?」
「……えっ?っちょっ……冴子っ?!」







キツネにつままれたと言うような顔の槇村を放ったまま、勢いよく扉を開けて。

その声に追いかけられまいと、足早に部屋を後にする。
何なのよ……何なのよ、もうっ!!
いくら優しいからって、いくら困ってる人を見ていられないからって。
それでも……それでも、あのチョコは何なのよっっっ!!!



「まったくもうっ………八方美人なんだからっっっ!!!」
気づけば怒りの丈が口をついて、廊下ですれ違った一年目の若い刑事がびくりと肩を震わせる。
そんな醜態を見せてしまったことも気にかけず、ズカズカと駐車場まで行き、愛車のシートに滑り込んだ。



わかってる……そういう人だって、わかってるけど。
でも……何だって今日この日に、こんなコトになっちゃうわけ……?
ふぅとため息を吐けば、傍らに転がる書類ケースがコンと音をたてて足元に転げ落ちる。
それを取り上げた瞬間、ケースの中で小さな包みがカサリと音をたてた。
掌よりは少し大きいくらいの、たったそれっぽっちの小さな包みなのに。
小さなクセに、大きな音。
小さなクセに、大きな重さ……。



そんな小さな包みすら渡せない自分に、これまた自己嫌悪。
まったく、これがホントに、警視庁の女豹と噂された、凄腕の女刑事なのかしらね……。
自分のことになると、とことん不器用になってしまうのは、昔からの悪いクセらしい。
彼の傍なら、その悪いクセを治していける……そう思ったのに、なぁ……。



どう足掻いたところで、長年培ってきた硬い鎧は、容易に壊れることは無いらしくて。
それならもう、今年はこれで諦めましょう。
一年後の今日、来年の今日、この日には。
もう少し素直になった“わたし”でいられるように、今からまた、努力していかなくちゃね。



急に怒り出した私を、未だいぶかしんでいるであろう槇村にくすりと笑みをこぼして。
“来年の私を見てなさいよ……?”
……と、銃口に見立てた指先で、彼のいるであろう部屋の窓に向って、きりと狙いを定めた。




END    2007.2.10