●3500円の憂鬱●



近頃の香は、とかく物思いに耽っている。




気がつけば、いつもボーッと、心、ココにあらずという感じで。
声をかけても、しばらくは返事だってしやしない。
そしてようやく気がついたアイツに、いぶかしげな視線をくれれば。
「やっ、やーね、何でもないわよ。……で、なぁに、リョウ?」
と、体よく話の矛先をかわす。
だがしかし、その答えはわかってる。
新聞の折り込み広告に紛れていた、春の新作ルージュの案内……そう、答えはアレだ。



その春らしい軽やかな色合いに、日頃化粧品なんてものとは縁の無い生活を送っている香も、
見事に一目惚れしちまったらしい。

それ以来、テレビのCMやら街角のディスプレイやらを見ては、そっとため息をこぼす日々。
そんなお前の姿に、俺が気づかないとでも思ってるのか…?



たかだか3500円の、ルージュの一本。
…とはいえ、万年金欠状態の我が冴羽商事には、その3500円すら、ちょいと手痛い金額で。
スーパーの特売だの100円均一の惣菜セールだのの広告と、毎日おでこをくっつけながらにらめっこをするお前。
そしてにこりと笑い、赤いマーカーでキュッと音をたてながらチェックをするお前に。
たかがルージュの一本を買う余裕すら無い生活を強いてる自分が……何とも情けなくてしょうがなかった。



日頃、CITY HUNTERパートナーとして身を飾るものは慎めと言っちゃぁいるが。
お前だって……それ相応の、年頃の女だもんな。
華やかなルージュに心惹かれたって、誰に咎める権利があるというのか。
だがお前は俺との約束を守り、普段物欲の無いお前が久しぶりに欲したルージュの一本をも、諦めようとしている。
その姿に…それをさせているのが他ならぬ自分自身だというコトに、ひどく腹が立っちまって。
惚れた女にそんな我慢をさせてばかりの自分が…どうにも許せなくて。
俺にだって、男としての甲斐性があるってトコロを見せてやろうと、覚悟を決めて。
デパートの化粧品売り場に乗り込んだ。



そして香が気にしていたブランドの、春の新色ルージュから、香に似合いそうな一本を選んだ。
春らしくて軽やかで爽やかで…そして可愛らしい甘さを含んだ、一本のルージュ。
当分タバコの本数を減らす日々になるが……それはまぁ、致し方の無いことだ。
何もつけない、そのままのお前が一番だと……言葉には出さないが、そう思っているのは確かなこと。
それでもこのルージュをつけて、柔らかな春風のようにふわりと笑うお前の姿が見たい。
何より…俺の贈ったルージュを引いて、輝くような笑みを浮かべるお前が見たい……。



キッチンの向かい合った席でコーヒーを飲みながら、またもや心をどこかに置き去りにしている彼女。
その心に描いているであろうルージュを目の前に見せた時……
果たしてお前は、どんな表情(かお)を見せてくれるのか。




でも、その前に……まずは何と言って、コイツを手渡すべきか……だな。

コーヒーを飲みながら、カップ越しにチラとその表情を窺った俺のジーンズのポケットの中で。
無造作に突っ込まれたむき出しのままのルージュが、ほんのりとした春の温かさを伝えていた。




END    2006.2.2