●猫目石(キャッツアイ)転がった●



「あ……っ」

という声を追うように、小さく何かが転がる音がして。
背後から俺を追って来ていた美樹の気配がふいに止まる。
「美樹……?!」
「待って、キャッツアイが……」
振り返った俺の前から、美樹の気配が遠退いていきかけて。
有無を言わさず、掴んだ腕を引き寄せた。
「そんなものはどうでいい」
「でも……!!」
「時間がない。仕掛けたヤツが爆発するまで、あと何分だ?」
「……2分……いえ、1分30秒になるわ」
「じゃぁ急ぐしかない……行くぞ!!」



あわやというトコロで抜け出した、港の埠頭の廃倉庫。
その先に続く海へとダイブして、弾みで深く沈んだ瞬間、水中にも伝わる衝撃波。
そして再び水面に顔を上げた時には、一面、きな臭い臭いに包まれていた。
「……どうだ?」
「えぇ。私たちが忍び込んだ痕跡もわからない程、木っ端みじんよ」
見えないコトの首尾を問えば、くすりと笑う美樹の声が、ちゃぷんとたゆたう波間に消えた。



「……?美樹、ケガしてないか?血の臭いがする」
「かすり傷よ……相変わらず、いい勘ね」
「……フン!!目が見えない分、余計に、な」
肩をすくめながら苦笑する気配をよそに、岸壁に美樹の身体を担いでやり、
次い追うようにあがって、水気を払うように首を振る。
「ふぅ……びしょ濡れになっちゃったわね」
「首尾がよけりゃ、どうってことはない。ケガ無く仕事が終わったなら、それでいい」
美樹が取り落としたキャッツアイを取りに戻ろうとしたコトを責めたワケじゃぁないが、
気にするところがあったらしい美樹が「……ごめんなさい」と、小さく呟いた。



「……気にするな」
美樹がキャッツアイに固執したのには、ワケがある。
俺の手前遠慮はしているが、店の名前にもしたくらいの、かなりの猫好き。
そして日本人と見紛うばかりのその風貌だが、時折……その瞳の色が、
今は忘れかけた彼女の故郷・南米の小さな国を思い出させるように、深い金色に輝く時がある。
今は普通に溶け込んではいるが……時として、忘れてしまいがちだが。
美樹は純然たる日本人じゃない。
黒い瞳といい、黒い髪といい、見た目は何等日本人と変わりはないが。
遠く、南米に移住した日系人の血が受け継がれているようだ。



その日本人と見紛う黒い瞳が時折、金色に輝くのは、異国の血の証。
遠く離れた故郷だが、幼くして殺された両親の思い出にうなされる夜もたまにあり、
戦禍のもたらした残酷さを改めて思い知らされる。

時を経てあの国が落ち着いたなら、そこで暮らした方が幸せだったんじゃないか……?
そうしたら、貧しくはあれど、普通の女としての幸せを掴んでいたんじゃないか……?
今でもよぎる、一抹の不安。



平穏な日常とはいえ、完全に足を洗ったワケじゃないから、危険とは紙一重の生活に変わりはないし。
親を亡くし、右も左もわからない幼子を傭兵として育ててしまったことが、悔やまれてならない。
今からでも、遅くはない。
多少の貧しさはあるとはいえ、あの国の政情も、今はかなり安定したと聞く。
こんな俺の隣じゃぁなく、今の美樹の素性を知る者もない故国に帰してやった方が……。
その方が、美樹のためにも……。
……と、考えて、愛車のエンジンの低い響きに、我に返った。



ふっ……これじゃぁまるで、どこかのあまのじゃくと同じじゃねぇか……。
ハンドルを握る美樹の隣に滑り込めば、
思わずこぼした笑みを目ざとく見つけたらしい美樹が、「……ファルコン?」と問い掛ける。
「……いや、何でもない」
「……私はファルコンから離れない、わよ?」
胸の内に渦巻く色々を察知したらしい美樹が、先手とばかりにアクセルを強く踏み込む。
まったく……妙に勘ばかり鋭くなっちまった。
いくら考えたところで、美樹の答えは変わらんだろうし、俺ももう、手放すつもりは毛頭ない。
ただ時折、どうしようもない後悔の念に追われるのは……ふっ……。
てめぇの手で蒔いた種だ。
一生涯続こうが、甘んじて受けなきゃならんだろうな。



「……あぁ」
お前の意志が変わらんコトくらいわかってるさと、短く返せば、それまで少しばかり張りつめていた空気が和らいだ。
「シートが濡れちゃうわね」
「……構わん。どうせすぐ乾く」
「ふふ……そうね」
美樹が微笑みながら、長く伸びた髪を風になびかせる。
美樹のシャンプーの甘い匂いと、春のやわらかな匂いが春の穏やかな風にふわりと舞った。





END    2011.5.12