●デパ地下物語。●



今日は依頼料が入ったからと、久しぶりに二人、

いつもは高嶺の花とばかりに、とんと寄り付かぬデパートの食品街に足を向けた。
予算は決められたものの、たまさかのコトなので、
二人それぞれ、鼻歌まじりに各々の好みのモノへと向かって行く。



"今晩の夕食はちょっとフンパツするわよ"と、
オバチャンたちの波の中へ果敢にも乗り込んで行った香を目の端に留めつつ、
こちらは産地直送のワインなぞを試飲してみたり。
今回は香にもえらく頑張ってもらったコトだし。
ビールもいいが、たまにゃ二人でゆっくりグラスを傾けるのもいいかもな、などと。
そんなコトを考えながら、居並ぶ美しいワインボトルたちに目をくれつつ、
思わずくすりともれる笑みを押し殺した。
……と、試飲用のどこか物足りない小さな紙コップをいくつか空にしたトコロで、後ろから香の声があがり。
その楽しそうな声音に誘われるように振り向いた。



「そうそう、こちらが今話題のブランド牛ですね。ここだけの話、奥さん可愛いからオマケしちゃうよ?」
「やだ///……私、奥さんなんかじゃないわよ?」
見れば精肉コーナーで、従業員の若い男と楽しげに微笑む香の姿。
若妻に見られたコトで気をよくした香が、その頬をほんのりと染めていた。



「……え?そうなんですか?いやぁ~失礼しました。
でもこんな可愛いらしいんなら、彼氏さんも幸せですよねー」
「………かっ、彼氏だなんて………///」
男の言葉に、ますますゆでダコ状態の香。
だが、下手に否定も出来ず、肯定も出来ずといった具合で、艶やかな照れ笑いをする。



お前…ンなワケわかんねぇヤツにくれてやるにゃ、その笑顔は反則だろ。
見ろよ、勘違いしたバカなヤローが、営業スマイルの下、にやりと嫌らしげな笑みを浮かべてんだろーがっ。



「………………」
ムカムカする気持ちを押さえられず、試飲のカップをぐしゃりと握り潰して、
ついと人波を押し分けて、香の元へと駆け寄って。
そしてこれみよがしに彼女の腰を抱き、人混みで聞こえづらいのをいいことに、
その小さな耳元に口づけるかのように、間近くささやいた。



「香、アッチでうまいワインがあったから買っとくぞ。たまにゃ二人で飲もうぜ」
「ちょっとぉ……高いんじゃないでしょうね?
いくらいつもより懐豊かだからって、ウチの家計にも限度ってモノがあるのよ?」
途端、眦を上げてギロリとにらむその笑顔すら可愛いらしいから……ったく、こいつにゃ参るぜ。
それを言うならお前が見てた肉のが高いんじゃねーのかと言いたいところをグッと抑えて、笑みを返す。



「ンな高くねぇって。なら、お前もこっち来て見てみろよ。ほら……荷物貸せ」
そう言って彼女の手からビニル袋を奪うようにこちらへと手を引きながら、
件のヤローにギロリとにらみをきかせてやった。
世辞で高い肉を買わせようなんざ、店員としてもつまんねぇー手口だが。
どうにもヤツの目が本気まじりだったのが気に入らねぇ。



ふと見れば、フロアマネージャーの田崎のおっちゃんが、慌てたようにヤツの隣に駆け寄って。
すまないねと片目をつむって、顔の前に片手を添えて目礼をよこした。
俺と香という人間を知らない新参者の無礼に、泡食って駆けつけたというトコロか。
ヤツの耳たぶをぎゅうと捻りあげ、小声で何事かを囁いている。
この新宿で仕事をするなら……生きていたいなら。
俺という人間の目につく行動は命取りだと、キチンと教えといてもらいてぇモンだ。



「ねぇ、リョウがいいっていったワインて、どれ?」
ふんと鼻で笑う俺の袖口を引っ張りながら、香が口先を尖らせる。
その膨れっ面すら可愛く見えちまうのは、惚れた弱みというヤツか。
その魅力的な笑みをむやみに振る舞ったがために、
一人の若者が減俸、もしくは最悪、失業の浮き目をみようとしてるなんざ、露とも思わぬまぁるい瞳。
どこまでも無垢で天然なる彼女に苦笑しつつ、「あぁ、えっとな……」と、
他の誰のものでもない、細い肩を抱き寄せた。




END    2008.7.16