●鈍感オンナと気苦労オトコ●



「出掛けるの、リョウ…?」
「…んぁ?あぁ」
いつものように夕食後のコーヒーを終え、さて、今日も夜に舞う蝶々さんを
捕まえに行こうとした矢先、香が声をかけてきた。
「…そ、そう…」
「…何だよ、何か用か?」
夜の飲み歩き…それが情報収集を兼ねていることは香も承知のはずで。
また飲みにいくのかと文句を言いつつも、キチンと見送るのが常のことだった。
それなのに今日のその声は不安げで、いつもポンポンと物事を言う
香らしくないのが妙に気にかかった。

「…ううん、いいの。いってらっしゃい…」
そう言うものの、声に力はなかった。
「…何だよ、お前らしくもない。どうかしたのか…?」
「…う、うん。実は…ね…」




香の話によると、近頃、無言電話が続くのだという。
朝昼晩とたいてい同じ時間にかかってきて、誰だ、何の用だと問いただしても無言のまま。
私的な電話もあるために無視することも出来ず、困ってしまう。
帰宅したのを見計らったようなタイミングでかかってきたり。
また何より、抗議の声を無視してだんまりを決め込む相手に、
言いようのない不気味さを感じているらしかった。
「…お前の考えすぎでない?イタ電なんて、イマドキ珍しくも無いぜ?
まぁそのうち、向こうさんも飽きるだろ。そうすりゃ自然、THE END…さ」
「…そうよ、ね。うん、放っとく…」
「そ。そういうコト♪んじゃリョウちゃん、夜の蝶々を探しに行ってきまぁ~すっvvv」
それでも多少の不安さを残す声で「早く帰って来なさいよ」と言う香を残し、夜の新宿へと出掛けた。




顔見知りの客引きたちに声を掛けられるものの、
先ほど聞いた話と、香の不安げな表情が心にひっかかる。

いつも強気で、元気と明るさがとりえの香だけに、
その頼りなげな顔が妙に心に残った。

このところ贔屓にしている、クラブ・ジュエルの桃香ちゃんが
艶やかな唇で出迎えてくれたけど、
俺は心ココにあらずという状態で…。
ママや桃香ちゃんの引き留める中、水割りを2・3杯引っ掛けただけで早々に失礼した。



すでに出来上がった酔っ払いオヤジたちをついとかわし、
馴染みの道を新宿駅へと向かう。

と、駅手前の大ガード下で営業している、意中の人物を見つけた。
「よう、轍さん」
不景気で暇なのか、眠たそうな顔をしたその目の前の木箱にドッカと足を乗せる。
「…っと、リョウちゃんじゃないか。どうしたんだい、こんな時間に。
最近お気に入りの桃香ちゃんが、首を長くして待ってるんじゃないかい?
女を怒らしちゃ、後が怖いよ?」
俺の最新の贔屓筋まで知っている、その相変わらずの情報の速さに感服し、早速話を始めた。




「…このところの様子はどうだい…?」
女の話を横に流しスッと目を細めて聞く俺に、轍さんの顔も情報屋の"それになる。
「…特に大したことは無いね。何だい?何か仕入れたい情報でもあるのかい…?」
よくある靴磨きと客を装って交わす言葉は酔っ払いの罵声と
ガードを通る電車の音にかき消され、
あえて声を潜める必要も無かった。
「俺んちに…無言電話がかかってくるらしいんだ。
それもキッチリと、かかる時間が決まってるらしい。

香が…怯えちまってな。俺の留守を狙ってるヤツらがいるんじゃないかな…と。
そんな情報、無いかい?」




「無言電話?リョウちゃんの留守の時間を確認して、香ちゃんを攫おう…って考えか。
う~ん…特に耳にしないけどねぇ…。数日、待ってもらえるかい?仲間に当たって見るよ」
「…サンキュー、助かるよ」
「何言ってんだよ、水臭い。さ、それじゃ香ちゃんが怖がってんだろ?
早いトコ帰ってやんな?」

そう言って、シッシと俺を追い払うような仕草をする。
そうか…コイツも向かいの金髪ヤローと同じ、
香ファンクラブの一員か…と、苦笑した。




アパートに帰ると、珍しく早く帰宅した俺にびっくりするものの、
香はどこかホッとした顔を見せた。

やはり相当、気にしていたらしい。
と、静かなリビングには相応しくないほどの勢いで、電話のベルが鳴った。
RiRiRiRiRi…
ビクリと怯え、俺のジャケットをギュッと握り締める香。
その瞳は不安げに揺れ、唇はきつく噛み締められていた。
「…いつもこんな時間なのか?」
「…う、うん。またリョウが何処かでツケを作ったって報告かなと思って出ると…何も言わないの…」
どうやら俺が店でツケを作ると、すぐさま香に連絡が行くシステムになっているらしかった。
こんなんじゃ怖くて、これからツケなんて出来ねぇな…
まったく、いつの間にか俺よりも、
歌舞伎町のヤツラに馴染んじまいやがった…と、
こんな時なのに苦笑する。




「…はい、冴羽商事…」
怯える香を横に受話器を取ると、とたん、相手が息を呑むのが聞こえた。
そしてそのまま、香が話していたとおりだんまりを決め込む。
「…もしもし?誰だ、お前。いったい何の用があって…」
ガチャン!!…と、言葉の半分も言わないうちに、電話は切られた。
受話器をじっと見つめながら、静かに置く。
「…切れちまいやがった。いつもこんな感じか?」
「…ううん。いつもはもっと、長いの。私が怒って文句を言っても、ずっと無言のままで。
でもそれを、向こうはちゃんと聞いてる気配があるのよ。だからよけい、不気味で…」



うつむく香の声が、だんだんとトーンダウンしていく。
俺の留守中、毎日こんなのを聞かされたら…そりゃぁ参るよな…と、
沈みがちな香の髪をクシャリと撫でる。

「…わかった。明日からもう、電話に出なくていいぞ。
海坊主たちには3回コールして一度切って、それから掛け直すようにさせる。

俺もだ。それなら安心…だろ?」
「うん…ありがとう、リョウ…」
にこりと微笑んだ香は、本当に嬉しそうだった。




それから数日、夜の外出は控え、なるべく香の傍にいるようにした。
美樹ちゃんたちはキチンと約束を守り、3回コールの後に掛け直ししてくれるので
香も安心して受話器を取り、怯えることも無くなった。

しかし無言電話の方は相変わらずで、俺が対応するのを不安げに見つめていた。
その日は雨だったのでナンパも早々に切り上げ、リビングでゴロ寝をしていた。
と、玄関から、香が誰かと話す声が聞こえてくる。
「…おい香、誰と話してんだぁ…?」
「あ、リョウ!!」
「…こ、こんにちは…」
ハタチになるかならないかの、ジーンズとポロシャツの上から透明のレインコートを羽織り、
防水用の肩掛け鞄をした中肉中背の男が、戸惑いながらぺこりと頭を下げた。



「…誰だ…?」
返事もしない俺に、香が慌てて横腹をつつく。
「…ん、もうっ!!挨拶くらい出来ないの?こちらはね、この春から新聞代の
集金に来てくれてる田中さんよ」

「ふ…ん」
どうも、と軽く頭を下げる。
レインコートからポタリポタリと落ちる雫が、玄関のコンクリートにしみを作った。
「大学に通いながら、こうしてバイトしてるんですって。
こんな雨の日なんか、大変よね。
体冷やさないように、気をつけてね…?」
「…あ、ありがとうございます」
にこりと笑う香に頬を染めた田中ってヤローは俺の視線を感じて、
領収書を渡すとそそくさと帰っていった。




「…ずいぶん親しげなんだな」
「…田中さん?別に、そんなんじゃないわよ。初めて来た時、緊張してたのかすっごく
オドオドしてね。
頑張ってねって声をかけたの。で、次の時か何かに…
ほら、アンタが朝帰りばっかするからご飯のおかずが余っちゃってさ。

それで、残り物で申し訳ないけど…って、お弁当にして持たせてあげたの。
やっぱりああいう仕事って、体力が資本じゃない?

学生との両立で、キチンとしたもの食べてないって言うからね」
「あ…ん。猫の餌付け…ってか?」



目が合っちゃったの…と、捨て猫を拾ってきたのはつい先日のこと。
結局育てられなくって、かすみちゃんの友人に貰われてったけどな。
だいたい女こどもってのは、どうしてこう、小動物的なものに弱いんだ?
そういやあの田中ってヤローも、どこかオドオドした感じが小動物を思わせたな…と考えてたら、
スコーンと頭にミニハンマーがめり込んだ。
「失礼なこと言わないの!!大体アンタが朝帰りばっかするから、
せっかく作ったご飯を無駄にしちゃうんでしょ?当分は飲み歩き禁止よっ!!」

「…うぁ~い…」
さ、ご飯ご飯と、香は足取り軽くキッチンに向かった、




今日の夕食はロールキャベツ。
コトコトと煮込むトマトソースの匂いがリビングまで届き、それに反応して
腹の虫がグゥと鳴った。
いやはや、正直な身体だな、俺。
…と、3回コール無しの電話が鳴る。
ヤツか?…と受話器を取れば、相手は待ちに待った轍さんだった。
「よう、リョウちゃん。待たせちまってゴメンよ。
いやぁ~…プロの仕業だと踏んで調べてたら、コレが一向に引っかからなくってさ。

で、手法を変えてみたら…引っかかったよ、素人が一匹」
「……」
「新宿大学の一年で、田中弘司。売売新聞の新宿店でバイトしてるよ。
どう調べても、どこの組織とも係わり合いはなかったね」

…アイツか!!と、先ほど見たヤサ男の姿を思い出す。
しかし、何だってアイツが無言電話なんか…?
「もしもし、リョウちゃん?聞いてるのかい?」
考え込んでいた俺の耳に、轍さんのダミ声が響く。
「…あぁ、聞いてるよ。サンキュー、轍さん。支払いは今度、な」
「いいってコトよ。俺とリョウちゃんの仲だろ?じゃぁ、香ちゃんにヨロシクな」
チン…と受話器を置くと同時に、香がリビングに顔を出した。




「リョウ?ご飯出来たわよ。ちゃんと手、洗ってね?」
「…悪い。俺、ちょっと出掛けてくるわ」
ジャケットを無造作に羽織る俺の背に、キッチンに戻ろうとした香の怒った声が降りかかる。
「えぇ?今からぁ?!さっき飲み歩きは禁止だって言ったじゃない。聞いてなかったのっ?!」
「…すぐ帰る」
おちゃらけた返事を返さない俺に香も何かを感じたらしく、言葉を紡ぐのをやめた。
玄関の扉を閉める瞬間、不安そうに俺を見る瞳とぶつかった。
「…温め直すの、ガス代がかかるんだからね?
せっかく作ったんだから…早く帰りなさいよ?」

「…あぁ」
片手を挙げるだけの返事で、扉を閉めた。




駅からちょっと離れた昔からの住宅地の中に、最近じゃお目にかかることも
少なくなったボロい木造アパートが建っていた。

2階奥の表札にかかる「田中弘司」の名を確認して気配を探るが、あいにくと留守だった。
足元に3本目の吸殻が転がった時、チカチカと点滅する街灯の下、
通りの向こうから自転車を漕ぐ田中の姿が見えた。

アパートに辿り着き、俺の姿を認めた田中の肩がビクリと揺れる。
「…あ、あなたは…」
「…よぅ。ちょいとお前さんに話があるんだが…。ちょっとそこまで、顔貸してくんないか?」
少し先にある小さな児童公園の方を、親指でくいと示す。
観念して俺の後についてきた田中は公園に足を踏み入れたとたん、
問い詰めるまもなく土下座してゲロした。




「す、すみません!!無言電話の犯人は…ぼ、僕ですっ!!」
「…ただの大学生が、また何だってウチに無言電話なんか掛けたんだ…?」
「そ、それは…あのぅ…」
土下座のまま、チラリと上目遣いで俺を窺う。
「…言え、よ」
「は、はい~っっっ!!!」
再び地面に額を擦り付けて、途中途切れ途切れになりながら、田中は話し出した。
大学に入ったものの、地方出身に新宿の街はあまりにきらびやかで異次元で。
まるで雑誌のモデルみたいな同級生たちとは、どうしても打ち解けられなくて。
孤独感に勉強にも手がつかず、日々悶々としていた時…香に出会った。
アパートに集金に来て、他所の家と同じように帰ろうとした時、香が声を掛けたのだという。



「ご苦労さま。大変だろうけど、頑張ってね」
…それは、何気ない社交辞令だったのかもしれない。
でも、日々孤独感に耐えていた自分に、その言葉はあまりにも優しく…そして温かかった。
そして香の言葉を励みに勉強にも、友達作りにも積極的になった。
それ以降、毎月の集金ごとにポツリポツリと言葉を交わし、
その明るさと優しさに惹かれていったのだという。




「僕はただのバイトですし、香さんはお客さんです。
どうこうなろうなんて、思ってはいませんでした。

でも、月に一度の集金の時しか会えないのが辛くって、
苦しい時なんかに声が聞きたくなって。

それで…悪いこととは思ったんですが、せめて声だけでも…と、電話してしまったんです…」
香への想いの丈を熱っぽく告げていた声のトーンが、みるみるうちに下がっていく。



「僕が何も喋らなければ、香さんは、誰だ、何の用だと問いかけてきます。
それだけで…その声だけで十分だったんです。
でも今日、香さんが無言電話に怯えてると話してて…。

僕が自分のことしか考えないでしてきたコトで、香さんを怖がらせてしまった。
怯えさせてしまった…。
それで、自分のしてきたことの重大さに気がつきました。
もう、辞めようって決心しました。本当に、申し訳ありませんでしたっ!!」




やれやれ、やっぱりそういうことか。
捨て猫を甘やかす悪いクセは、直して欲しいもんだぜ…。
額が地面にめり込むほどにグッと頭を下げる田中に、「顔を上げな」と声をかけてやる。
びくびくとその顔を上げるヤツに、少しだけ情け深い声をかけてやった。
「…自分ンのしたことがわかってるなら、もう何も言わんさ。
香のおかげで、新しい友人も少しは出来たんだろう?

今度はその友人たちと、楽しい学生生活を送れるようにするんだな…」
「…は、はいっ!!」




ありがとうございますという言葉を背に公園を出ると、ヤツが俺を呼び止めた。
「あ、あの…。ひとつだけ、質問させて下さい。あなたと香さんは、その、いったい…」
「……」
悪友たちに何度となく問われた質問。
それすらもはぐらかしているのに、コイツにひとつ、釘を打っておこうと思ったのは…
どういう風の吹き回しか、自分でもわからなかった。

「……俺の、オンナ」
じゃぁなと手を振り、今頃は冷めたロールキャベツを前に
リビングで待っているであろう香の元に帰った。




そして後日。いつのまにかかからなくなった無言電話に喜ぶ香が、
郵便配達のボウヤと親しげに話すのを見て、俺は再び頭を抱えた。

新聞の集金は口座振替にしたが、郵便物はどうすりゃイイんだ?
いっそのこと、私書箱でも作るか?!
無意識のうちに笑顔を振りまく香。
その笑顔ひとつが、どれだけの威力を持つのか、
本人はこれっぽっちも気づいちゃいなくて…。

その後、俺の頭痛はまだまだ続きそうだ…。




END   2005.7.18