●はにかみの朝。●



ブラインドの隙間から差し込む鋭い光に、ふ…と目を開ければ。

腕には覚えのあるぬくもりと、そしてその重さ。
クセのある茶色の髪がいつも以上に跳ね、そのやわらかな頬や額に掛かっている様が、
昨夜の行為の激しさを自ずと物語っている。
そしてシーツから覗く剥き出しの細い肩や首筋、淡い影を落とす胸元には、
いくつもの小さな赤い華が咲いていた。
そのひとつひとつを目で追って、この腕に眠る香をようやく自分のものに出来たのだと、改めて実感した。



元々色素の薄い香の白い肌に、その赤い華は痛々しいまでに咲き乱れ。
昨夜は夢中になったあまり、優しく出来なかったことを密かに詫びる。
とはいえ、この腕に横たわる香の全てを……心も身体も、丸ごと全てを己のものに出来たことが嬉しくて。
気づけばその口元が、ふ……と満足げに緩むのを、抑えることが出来なかった。



初めてのことで、その心にも身体にも、さぞかし負担は大きかっただろう。
とはいえ、幸せそうに、まるで子供が楽しい夢を見るかのように微笑みながら眠るその姿に。
今まで以上の……二人の関係が変わり、隠すことの無くなった彼女への愛しさがじんわりと溢れ出す。



これから……これからずっと。
こうして二人で朝を迎えられるのか……。



今まで生きてきた中で、一番幸せで穏やかな朝。
それをこれからずっと、この何にも代え難い愛しき存在と共に迎えられるということが、まるで夢のようで。
けれど夢ではなく、紛うことなき現実なのだと再度実感したくて……
昨夜、初めてそのやわらかさを知った甘くふっくらとした唇に、己のそれをそっと押し当てる。



「……ん…………」
くすぐったそうに少しの抗いを見せる香に、反射的に身を退く。
そして、これまで長くかった日々の、情けなくも臆病な習性が未だ抜け切らない己にふ……っと苦笑。
それでいて、もうそんなに怯えることも無く唇を重ね、さらにその先へと進んでも構わないのだと。
そう許しを得られたことに、ひどく幸せな気持ちになって、改めてそっと唇を寄せた。



階下に降りて、シャワーを浴びる。
身体のそこかしこについた昨夜の名残を洗い流せば、肩に走る小さな痛み。
それは昨夜、初めてのその高みに震えた香の指が遺した跡だった。
その赤く走る傷跡をゆっくりと指で伝っていけば、昨夜の香の痴態がありありと目に浮かぶ。
その声に、その姿に、再度愛しさがこみ上げた。



その傷跡すらも愛おしげに、そっとタオルで身体を拭い。
スウェットだけを身に纏ってキッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、ごくりと飲み干す。
身体中に染み渡る冷水の心地よさにほぅと息をついて、ようやく普段の己を取り戻した。



……と、玄関の方から近づく、見知った気配。
鍵の掛かった扉を難無く開け、人ンちに遠慮も無くズカズカと入って来るこの気配は……
向かいに住む堕天使、ミックのものだった。



「よぉ……お前がこんな時間に起きてるなんざ、珍しいじゃねーか。何だ何だ、今日は雨か?」
「………るっせーよ……」
ニヤリと楽しげに笑うミックに、フンと鼻息荒く応えて壁に掛かった時計を見る。
朝の9時前……。
ふむ……まぁ確かに、この時間に俺が起きてるってぇのは珍しいともいえる……な。



「……それで?カオリの姿が見えないようだが?」
「……え?あ、あぁ………」
いつもなら6時過ぎには起き、洗濯機を回しながら朝食の支度をして。
仕上がった洗い物を鼻歌まじりに干し、伝言板を見に行く前にコーヒーで一息つく頃だろう。
時間に正確な、よほどのコトが無い限り常の日課を崩さない。
そんな几帳面な香の姿が見えないのは、どうしたって不自然だった。



とはいえ、昨夜の疲れで眠っていると……
俺の部屋で、俺のベッドで眠っているなどとは、口が裂けても言えやしねぇ。
「その……だな、香は………」
「……何だ?ひょっとして、風邪かっ?!」
とたん、世の女どもがうっとりとしたまなざしで見つめるヤツ自慢のきれいな碧眼が、大きく見開いた。
まったく……コイツは香のこととなると、ホントに目の色が変わりやがんのな……。
いつもなら腹の虫が治まらないところだったが、今日は別件のせいで気にとめる間もありはしない。
勘違いもちょうどイイやとばかりに、そのセリフに話をあわせた。



「そうそう、風邪ひいたみたいなんだよな。ほら……このところ、急に寒くなってきただろ?」
だからとにかく帰ってくれ……と、祈りにも似た気持ちを寸でのところで押し込めて、
いつものちゃらんぽらんな男の仮面を被る。
「そいつぁ心配だ……よし、お見舞いは後にするとして、今は顔だけでも…・・・」
「……いや、待て、ミックっ!!」



今にも香の部屋へと行きかけるミックを、やっとのことで押しとどめる。
why?!……と、肩を上げた欧米人特有の大げさなボディーランゲージでミックがにらんだ。
「……んぁ?何なんだよ、リョウ。オレがカオリの部屋に行っちゃマズイのか?
それとも何か?カオリの顔すらも見せられない……って、ヤキモチか?」
いつものようにからかいのチャチャを入れてくるが、それに応える余裕のカケラも無い。
何しろ今、香は俺の部屋の俺のベッドで。
しかも昨夜の行為のまま、一糸纏わぬ姿で寝てるんだ。
そこに踏み込まれたら、どんな言い訳も申し開きもしようが無いと言うもので……。



「…………リョウ?」
どうしたものかと頭をガシガシとかく俺に、ミックがいぶかしげな視線をよこす。
とはいえ、何の解決策も見当たらず、どうしたものかと思った矢先、ミックが素っ頓狂な声を上げた。
「リョ、リョウ。お前、それ………?」



その指先と視線の先にある俺の肩には、誰あろう、昨夜香が遺した情交の証。
その傷跡は先程のシャワーに濡れ、まだじんわりと血を滲ませて。
まるでたった今、付けられたそれのようにも見えた。



「お前……それ、ひょっとして……?」
「…………………あ、あぁ……」
こうなった以上、逃げも隠れも出来やしないと覚悟を決め。
多くを語らず、ただひとこと、肯定のセリフを吐いた。



「そのぉ、何だ。そういうコト………だ」
何を言っていいものやらと、照れ隠しに頭をガシガシとかけば。
大目玉であんぐりと口を開けていたミックが、ほぅとその肩の力を抜いた。



「……そう、か。そうか、お前ら、やっと……」
「……………あぁ……」
「そうか……そういうコトなら……だ、な」
「………………/////」
長年、共に色々とやってきた悪友の前で、こんなに照れくさいのは初めてのことで。
何を言っていいのやら……と、視線を外して照れ笑い。



「……リョウ………?」
「…………ん?」
「……It was good……congratulations(よかったな……おめでとう)」
ニヤリと笑って目の前に差し出しされた拳に、瞬時戸惑って。
そしてようやく、微笑みながら拳をあわせる。
拳の先から伝わるあたたかさに、ヤツの想いが伝わった。



そう……コイツにも心配かけたよな……。
そんな感情に、しんみりと浸ったのも束の間。
ニヤリと笑みを浮かべたミックは、「ウッシッシ」と嫌らしげな笑みをこぼした。
「そうかそうか、そうと決まれば話は早い。早速祝いだ、みんなに知らせてやらなきゃ、だなっ?!」
「………なっ……なにっ?!」
驚き戸惑う俺を残し、脱兎の如く玄関に向かうミック。



「みんな喜ぶぜ?奥多摩のあの日以来お前たちのコト、今か今かと気にしてたんだからな。
中にはⅩデーはいつかって、賭けてたヤツらもいたって言うぜ?
あぁ、オレはしてねーからな?オレはお前の友達だからな。
荒れ狂う新宿の種馬のその手綱を、ようやくカオリが引き止められたんだ。これを祝わずしてどうするってんだ♪」



“へへ~んだっ♪”とばかりにスキップしながら、ものすごい勢いで階段を駆け下りて行く。
常ならば何が何でも取り押さえに行くところだが、香とのことで心のどこかが浮かれていたのか、
いつもと勝手が違う身体が思うように動かなくて。
悔しくも新宿のスピーカーとも言えるあの堕天使を、取り逃がしてしまった。



「………ったく……どうすんだよぉ~………」
この新宿に於いてのヤツの日課は、俺たちのあること無いことを広めることで。
今までは嘘八百とばかりに否定し続けてきたが、今日ばっかりは……。
「自分で“それ”と認め、証拠まで見られちまったワケだから……な。どうにも出来ねーだろ……」



はぁぁぁ………と、いつになくデカいため息。
きっと1時間……いや、あの様子だと30分後には、この事実を新宿のみんなが知ることになるだろう。
その時、俺はともかくとして、香は……?
真っ赤になって、海坊主そっくりの茹でダコになって。
あうあうとワケのわからない言葉を口走りながら。
それでも否定するなんて、そんな下手な演技が出来るわけも無く……。
言わずと知れた……ってトコだろう。



「まぁ、いつかはバレるんだから………なぁ?」
俺は悪くねーぞ、と肩をすくめて。
街中が騒ぎ出し、どこぞの誰かが、確かな情報かどうかと確認しに押し寄せて来る前に。
もう少し……もう少しだけあの愛しきぬくもりを感じていようと。
くすりと笑みをこぼしながら、足取り軽く階段を上った。




END    2007.6.8