●はにかみの午後。●



いつもより濃いめに入れたコーヒーが身体の隅々まで行き渡り、

眠り切っていた脳細胞がようやく覚醒してきた。



昨夜の"コト"に、らしくもなく舞い上がっちまっている自分。
瞬時気を許せば、すべてが初めてのコトに戸惑いを隠しつつ、
それでも懸命に俺の愛撫に応えてくれた昨夜の香の痴態が思い出される。
その切なげによせられた眉根も、初めて聞いた、香の“女”の声も。
そしてその肌のぬくもりとやわらかさと、その甘さとが思いだされ……
知らず、その口元を緩めてる俺がいた。




初めての行為はやはり相当に負担だったらしく、
今にも切れちまいそうな緊張が解けたのも手伝って、なのか。
いつもは早起きの香も、とうに日が中天を過ぎようとするのに、まだ起きてくる気配が無い。
いや、人一倍照れ屋な香のこと。
目を覚ましたはいいが、俺と顔を合わせるのが気まずいというか…
どうしたものかと、ベッドの中で真っ赤になって、ひたすら頭を抱えているのかもしれない。
そんな姿が、ありありと想像出来た。
……ったく……ンな気持ち、コッチだって同じなのにな………?
コーヒーを飲みながら、リビングの窓ガラスに映る締まりのないヤローの顔をみとめて苦笑した。



そんな情けねぇことをつらつらと考えてる内に、扉の向こうからこっそりと忍び込むような足音がして。
それに続いて、バスルームから、まるで押し殺すようにひそやかな水音が聞こえてきた。
俺に気づかれないようにやってるつもりだろうが、ンなコト、バレバレだってぇーの。
……でも、まぁ……そんな控え目な態度が、アイツらしいんだよな。
情事の余韻も感じさせないほど、これみよがしにシャワーを浴びていた今までの女たちを思い。
そんな世間慣れしたヤツらとは違う、香らしいその気遣いに、
やわらかな何かで心がじんわりと満たされていった。



しばらくして、ようやくに覚悟を決めたらしい香が身支度を整え、
懸命にいつもらしさを装いながら、リビングにひょっこりと顔を出した。
「……あ、あのぉ………お、おはよう、リョウ////」
「………お、おぅ………おそよう」
いつもハンマーとともに言われてるセリフを返せば、「………ん、もうっ!!」と、その頬をふくらせる。
昨夜見せた女の顔とは違う、そんな、いつもの香の顔だった。



「それで………っと、身体は大丈夫か?」
「…………えっ………?////」
いつもの何気なく他愛ない言葉のやり取りに安堵して、朝から気になっていたセリフがついと口の端をついた。
……と、その瞬間、香の頬が、瞬時に赤く染まり。
そしてこの上なく可愛いらしい態度で、フイと視線をそらした。
おい……お前、それ、わかっててやってんのか……?



思わずそう問いたくなるような、魅力的な仕草。
案の定、耳の先まで真っ赤に染まってやがる。
そして、ふと視線をそらした時に覗いた白い首元には、
茶色の髪とシャツの衿とに隠されていた、昨夜のシルシが見え隠れ。
そう……あの白く細い首元に、何度も吸い寄せられるように唇を押し当てたのは、つい数時間前のことだった。
………思わすゴクリと息をのむ。
バカ………これじゃぁまるで、日頃香から言われまくってる、ただの変態じゃねーかっ!!



そうこうする内にも、香はギクシャクとした態度の中、手際よく朝食を作り始めた。
だが、出来上がった食卓に面と向かって顔を合わせれば、訪れるのは沈黙ばかり。
サラダやスクランブルエッグなどを突きつつも、互いに互いを、この上なく妙に意識しちまって。
あぁ……味も素っ気もあったもんじゃねぇ。



互いに胸の奥深く、ずっと長いコト押し殺してきた感情を解き放ち、
ようやく素直になって、一歩進んだ関係になった俺たち。
この上ない幸福感に包まれたのは、ほんの数時間前のコトだったのに……
なぜ、こんなにも気まずい空気が流れなければならんのか。
……ったく……慣れねぇコトした後は、どうしたらいいのかサッパリだ。



そうこうする内にも、いつもより格段に遅くはあるが、
香は手際よく洗濯に洗い物にと日常の動作を済ませ、いつもの伝言板チェックへと出掛けようとする。
俺と顔を合わせるのが気まずいのか、「……じゃ、じゃぁ行ってくるね」と、視線すら合わせずに、
まるで俺から逃げるように玄関を出ていこうとする香。
その捨て台詞にのような物言いが寂しくて……向けられた背中が寂しくて。
まるで別れを告げられた恋人を追い掛ける情けない男のように、
今まさに玄関を出ようとする香の腕をむんずと掴んだ。



「………なっ……何っ?」
ふいに腕を掴まれて、振り返って、今まで避けるようにしていた俺の顔を間近く見て。
香の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
ちきしょう……今はその表情すら、眩暈がするぜ。



「今日は……やめとけ」
「………へっ……?」



起き抜けにミックが来て、瞬く間に街へと繰出して行ったのは、1時間ほど前のこと。
街中に俺たちのウワサが広まり、その真意を確かめようと、そろそろヤツらがココへとやって来る頃だろう。
ンな中、香が駅へと出向いたなら……はは……どうなるのか、想像するだけでも恐ろしいや。



「どーせ依頼なんてねぇんだから、行ったって無駄だ」
「……そ、そりゃぁそうだけど。でも………」
文句を言いつつも、俺の視線から逃げるように、その大きな瞳を宙に浮かせる香。



「今日はいいんだ。さぁ……出掛けるから、支度しろ」
「……へっ……?出掛けるって、ど、どこに……」
まだ尻込みをする、そんなセリフをみなまで言わせず、ふぅと一息ついて。
戸惑いがちに口元に寄せていた白い指先に、そっと口づけた。



「槇ちゃんトコ。昨夜のコト、ちゃんと報告しなきゃ……だろ?」
「…………っっっ//////」
唇に押し付けた指先が、熱を帯びて細かく震える。
それにともなって、ようやくに俺と視線を合わせた香の瞳が、しずかに潤みを帯び始めた。



「………な………?」
「………ん……うん……////」
耳も頬も、身体全体を朱に染めた香が、はにかみながらも、ようやくに見せた微笑は。
今まで見た、そのどの笑顔よりも輝いていた。



車に乗って、何より妹想いの心配性なアイツにひとこと、ご報告。
まぁ、天国から拳のひとつやふたつは来るだろうが……なに、それくらいは覚悟の上だ。
そしてそのまま、今日は車を走らせてどこかへドライブと洒落込もう。
新宿の小うるさいヤツらを撒いて、たまには二人、どこか静かなところでゆっくりと。
その愛車の後ろに、いくつかの空き缶でもぶら下げてみるか……と、
そんなバカげた思い付きに苦笑しながら、ポケットにキィをねじ込んで。
もう一方の手で、まだ戸惑いがちに微笑む香の手を取った。




END    2007.9.15