●イ・ラ・イ・ラ●



「…と、言うワケで。こちらがカメラマンの並木和孝さんよ♪」
「並木です、よろしく!!」
「はぁ…槇村です、よろしく…」
握手した手をブンブンと振る喜色満面の男に、香は苦笑した。
コトの起こりは3日前。
隣人の麗香のひとことから始まった…。



「ねぇ香さん?香さんに一目惚れしたって友人がいるんだけど。一度、会ってみない?」
「「…はぁっ?!」 」
声をそろえて仰け反った俺と香。
香に一目惚れだぁ?誰だよ、そんな奇特なヤツは。
話を聞けば麗香の学生時代からの友人で、近頃売り出し中のカメラマンとか。
仕事の関係で麗香のところへ訪ねた折、アパートに出入りする香に一目惚れしたんだと。
それ以降、朝早くからアパート周辺の掃除をしたりこまめに買い物をしたりする姿を見かけて、
綺麗好きな働き者として…惹かれていったらしい。



男がどれだけ香に惚れているかを話す麗香は、実に楽しそうだ。
一方の香は、慣れないことに頬を染めて固まっている。
俺はといえば、ただ黙って見ているだけで…。
「ともかくいいヤツなのよ。ねぇ、一度会ってみない?」
まくしたてる麗香の言葉を断りきれない香は…いつの間にか、頷いていた。
そして今日、俺と麗香を保護者としつつ、冴羽家のリビングで二人の顔合わせ会となったのだ。



「香さんは、冴羽さんと探偵業をしていそうですね?」
「…え、えぇ。まぁ…そんなトコロです…」
「探偵なんてのは、気力も体力も使う仕事でしょ?見るからに頼りなげなあなたが、
そんな仕事をしてるなんて…いやぁ、信じられませんねぇ。危険じゃないんですか?」
「そんなコトはめったに無いし…それに、こう見えても護身術には自信があるんですよ?」
「へぇ~意外だなぁ…」



護身術ってのにハンマーが入るのかどうか聞きたかったが、
即、ハンマーが飛んできそうなので止めた。

カメラマンという仕事ながらインテリには見えず、
どちらかといえば体育会系の、日焼けしたがっしりとした男だった。

憧れの香に会えた喜びに興奮する男は、ベラベラと質問しまくり状態。
それを笑顔でそつなくこなす香に、男の顔は緩みっぱなし。
あー…みっともねぇ…。



「そうですか、お兄さんの後を継いで冴羽さんと…。
では、冴羽さんは仕事仲間であり、よき保護者というコトなんですね」
男が意味ありげな視線を俺に向ける。
ふ…ん。香が男と同居してるのが、気に入らねぇって顔だな。
じゃ、とりあえず。安心させといてやりますか…。
「そうなんっすよ。コイツの兄はひどいシスコンでね。
その友人のたっての遺言で…保護者として面倒見てやってるんです」

「……」
保護者の言葉に香の肩がピクリと震え、にこやかに笑っていた口元が固く引き結ばれた。
「イイ男見つけて早く嫁に行ってくんないと、俺もヤツに顔向け出来ないんっすよぉ~」
ふいに黙り込んでうつむく香に麗香が気遣う視線を送り、
続いてチラリと俺を伺うが…俺はそ知らぬふりをする。




香がどんな顔をしているかが、手に取るようにわかり…この場は俺も、限界だった。
やおらソファから立ち上がり、暢気な声を上げる。
「悪ぃけど、俺、これからナンパの時間なんで。んじゃ麗香、あと頼むなぁ~♪」
「ちょ、ちょっと、リョウ?!」
麗香が呼び止める声に耳も傾けず、逃げるようにリビングを出た。
あと少しでもあの場にいたら…俺はさらに、香を傷つける言葉を浴びせただろう。
そしてその結果、こらえきれなくなった香は涙をこぼしただろう。
そんな醜態を麗香にも、ましてあの男にも見せるわけにはいかなかった。
かといって、こうして俺が飛び出したところで、すぐさま香が笑顔を取り戻すとも思えなかったが…。
つくづく、身勝手な自分に呆れちまう。



何をするともなく街をブラつき夕方遅くにアパートに帰ると、
麗香の姿も、男の姿もすでになかった。

キッチンからはコトコトと何かを煮込む音。香と顔を合わせるのが気まずくて
リビングのソファに寝転がって時間をつぶしていると、やがて夕食の支度を終えた香がキッチンを出た。

ソファに俺の姿を認めるやいなや一瞬息を止め、そしていつもの変わらぬ笑顔を向ける。
「リョウ、帰ってたんだ。ご飯出来たわよ?」
「…あぁ」
互いの心に何かを隠したままの夕食は味気なく、早々に食べ終わってまたソファに寝転びタバコをふかす。
あの後…香はアイツに何と返事をしたのだろう…。
気にしていないつもりなのに苛立ちは隠しきれず、いつの間にかフィルタを噛み締めていた。



RiRiRiRi…
ふいに電話が鳴った。
キッチンで洗い物をしている香は聞こえないらしく、受話器を取る。
と、場違いなくらいに明るいく弾んだ、いま、一番聞きたくないヤツの声が受話器から響いた。
「もしもし、香さんですか?どうも、並木です!!」
「…冴羽だ。いま、代わる…」
一瞬にして眉間に皺がよるのがわかった。
男が何か言うのを無視して受話器を置き、香を呼ぶ。
そのままソファで寝転んでいると、香がエプロンで手を拭きながらやってきた。
俺の視線を避け、背を向けながら受話器を取る。



「は…い。槇村、です…」
緊張を含んだ声。
ヤツが聞きたがってるのは、明るく弾んだお前の声だろ?
元気よく話してやれよ…と、聞きたくもないのに耳をそばだて、そんなことを考えてしまう。
「はい…え?いいえ、そんな…えぇ、はい。そう…です、ね…」
会話は掴めないが、男が香をデートに誘っているのは明らかだった。
断り方を知らない曖昧な相槌は、いつの間にか肯定の返事へと変わっていく。
その性格が災いしてる…って、少しは勉強しろよな…。



「えぇ…あ、はい。大丈夫です、わかります。はい…じゃぁ、明日…おやすみなさい…」
チンと受話器を下ろしたとたん、はぁ…と深いため息。
デートの約束を受けた女…って、感じじゃねぇよな。
嫌なら断りゃいいのにと思いつつ、そんなコト、口が裂けても言えなくて。
出てくる言葉は、意地悪ばかり…。
「あぁ~れぇ~?デートのお誘い、かなぁ~?」
香を傷つけるとわかっているくせに、何だって俺はこんなことを言っちまうんだろう…。
悔しげに唇を噛み締めて俺をにらむその目には、怒りと悲しみの色。
マズイ。言い過ぎたか…と思った瞬間、香が叫ぶ。
「リョ、リョウには関係ないでしょ?!」
真っ赤な顔で、瞳にうっすらと浮かぶ涙。
そしてそのまま、バタンと勢いよくドアを閉めてリビングを飛び出して行った。
一人残されたリビングはシンと静まり、時を刻む秒針の音だけがうるさいくらい耳に響く。
アイツ…きっとまた、部屋で泣いてるんだろうな…。
どうしようもない自分に苛立って、空のタバコの箱を捻りつぶし、テレビに投げつける。
俺は…俺はいったい、何をやってるんだろう…。



次の日、朝(世間では昼過ぎと言うらしい)起きた時にはもう香の姿はなくて。
いつもの伝言板か…と思った俺の眼に飛び込んできたのは、リビングに残された一枚のメモ。
並木さんと食事に出掛けてきます。夕食は用意してあるので、温めて食べてね。
…そうか、きのうの電話か…。
食事を終えいつもどおり街に出掛けるものの、もっこりちゃんは一人として捕まえられず。
麗香から一報が入っているであろうCATSに行くには、気が重くて…。
結局、早いうちからアパートに帰り、メシをかっ食らってソファでフテ寝を決め込んだ。



いつの間にかうとうとしていたが、アパートの前で車が止まったのに目を覚ます。
男が開けた助手席から、香が降り立つのが見えた。
時計を見れば、まだ8時前というトコロ。
ふ…ん。世間知らずなお嬢さんの初デートとしては、安全圏ってトコか?
男が有頂天なのは、見てのとおり。
香に笑顔を向けて帰る車まで、まるでスキップしているかに見えた。



部屋に戻ろうとして、帰ってきた香と廊下でぶつかる。
常ならば着ないであろう淡いピンクのワンピースに、うっすらと施されたメイク。
きめ細やかな肌に、艶やかなルージュが濡れたように光る。
酒でも飲んできたのか、その頬と目元をほんのり赤く染めているのが妙に色っぽい。
その顔をアイツに見せたのかと思ったら妙に癪に触り…
心とは裏腹に、また、憎まれ口を叩いてしまう。

「これはこれは、お早いお帰りで。てっきりお泊りさんかと思いましたけどぉ~?
ってコトは、明日も熱々ラブラブなデートなのかなぁ~?」
「……っっっ!!!」
キッとにらみ返す香。
どんな言葉が返ってくるか、はたまたハンマーかこんぺいとうかと身構えるが、
ついと振り返って自室へと消えた。

何の反応も示さない香…それは香が、怒りと悲しみの頂点にあるという証だろうか。
普段見せないその態度に、俺は焦った。
どうすればいい?どうしたらいい…?



ほとんど眠れぬままに迎えた翌朝、けたたましく鳴る電話によって起された。
相手は件の、朝から元気いっぱいの男…。
「どうも!並木です!!香さんはいらっしゃいますか?」
「…いませんよ。今日もデートじゃなかったんっすか?」
「いえ、今日は仕事で九州に来てるんです」
「……」
仕事先の九州から、わざわざ電話をかける…そこまで香に惚れてるってコトか。
俺にはとてもマネ出来んな…。
「じゃぁ、後でまた電話します」
「…はぁ…」
一方的に切られた電話。
受話器を置いて、そうかヤツは九州か…じゃぁ香は、伝言板にでも行っているのだろう…。
そう思ったら、知らず安堵のため息を漏らしていた。



食後、ソファでゴロ寝をしていたら、帰宅した香がコーヒーを淹れてリビングにやってきた。
コトリとテーブルに俺のカップを置き、目もあわせずに自分のコーヒーをすする。
じっと見つめる俺の視線に気づいているくせにチラリともこちらを向かないのに
苛立って、こちらから声をかけた。

「さっき、な…」
「……?」
やっと合わさった視線。
見慣れたはずの大きな茶色い瞳に吸い寄せられるようで、目が離せない。
このところの不安な気持ちをそのまま映したかのように、
頼りなく揺らぐ瞳は美しくて…俺は、言葉を失った。

「…リョ、ウ…?」
香の言葉に、ようやく我に返る。
気まずくて、今度は自分から視線を外した。



「さっき…」
「…うん…?」
「さっき、あのヤローから電話があったぞ。
仕事先の九州からわざわざ電話してくるなんざ…ありゃ、本気だな」

「……」
「お前の携帯の番号、教えなかったのか?」
「だって…携帯教えるほどの間柄じゃない、し…」
「アイツはそういう間柄になりたがってんじゃん。
それに、せっかく仕事先からかけてきたのに、

相手が俺じゃぁ…ヤツも気分悪いだろ」
…その電話を受ける俺の気持ちも考えてくれよ…とは、決して言えない。
「そ…う、ね…」
「またかけ直すって言ってたから、今度はキチンと出てやれよ?
んじゃ、俺はナンパにでも行きますか♪」
コーヒーも飲みかけのままスキップしながら玄関を出たものの、そんな気分にもなれなくて…
車に乗り、当てのないドライブへと出掛けた。
逃げてばっかで、いいわけ無いのに…な…。



その後も毎日、男は仕事で移動する九州各地から電話をよこして来た。
今日は何を見ただのコレが美味かっただのと、各地の風景や名産品などを面白おかしく知らせてくる。
香は未だ携帯の番号を教えていないらしく、その度にかかってくる電話を、
俺はリビングで聞かされる羽目になった。

電話を聞きながら、困ったような笑みを浮かべて相槌を打つ香。
彼女の本心が読めなくて、俺の心は日々苛立ちを増した。



そんなある日、一件の裏の仕事が舞い込んできた。
香はと言えばようやく帰京した男とデートに出掛け、遅くなるという。
気にならなくは無かったが、香には秘密の裏の仕事だけに、
これで気兼ねなく出掛けられるなと思った。




麻薬組織の壊滅…。
麻薬欲しさに、自らも売人となってしまった若者たち。
上等ではないヤクは彼らを廃人とし、組織にとってお荷物でしかない彼らは、
小汚い倉庫に押し込められていた。

彼らを救出し、その組織を壊滅させることが今日の仕事。
組織を潰すのはワケなかったが…廃人と化した若者たちは、厄介だった。
ヤクのせいで幻を見る彼らには、助けに入った俺は悪魔にしか見えていないようで…
そこいらに転がるビール瓶や鉄パイプを持ち、片っ端から俺に殴りかかって来た。
ヤクの売人だったからといって彼らに罪はないのだから、殺すわけにもいかない。
結局手刀や当身で気を失わせたが、かかってくる人数が半端ではなかったので、
全てを終えた時、俺の身体には無数の小さな傷が散らばっていた。



「…ちっ!!」
いつもの俺なら、こんな傷を負うことはない。
やはり心の底になにかがあったせいか…と、思わず苦笑する。
帰宅すると、リビングに明かりがついていた。
先に帰っていた香にどう言い訳するかな…と考えながら玄関に向かえば、
リビングには香と…あの男の気配。

時刻はすでに、深夜という時間帯に差し掛かっていた。
何だってヤツが、こんな時間にココにいる…?
急に上がる心拍数を抑え、そっとリビングを窺う。



「香さん…僕は、僕は本気です。本気で香さんに惚れてます。
香さんは…僕のコトが嫌いですか?」

「…い、え。嫌いというワケじゃ…」
「じゃぁどうして、そんな悲しそうな顔をするんですか?
僕といても時々上の空だったり、ふとした瞬間、泣きそうな顔をしていたり。
それとも他に…好きな人がいるんですか…?」
「……」
確信をついた問いに香はどう答えるのだろうかと気になって、足が動かない。
しかし立ち聞きは良くないと自室に戻ろうとして、動かない身体に無理に力を入れたのがマズかった。
廊下がギシリと音を立て、それを聞きつけた香が勢いよくリビングの扉を開けた。



「……」
「……」
瞬間、俺と香の視線が絡まる。
言葉を交わせず、ただ見つめあう二人。



「あ…」
言葉を紡ごうとした矢先、香がグイと俺の腕を掴む。
そしてそのまま、呆気に取られる男の視線を無視して、リビングのソファに座らされた。
取り出した救急箱を開け、手馴れた手つきで体の傷を消毒していく。
男の視線を感じ、この状況をどうにかしなくてはと思った瞬間…
それまで黙ったままの香が、ポツリと言葉を発した。

「ムチャ…しないで、よ」
消毒液に浸したガーゼを持つ手が、ふと止まる。
見れば怒りに頬を赤く染め、こらえた涙は今まさに零れ落ちようとしているところだった。



「…どうして、何も言ってくれないの?私は…アンタのパートナーでしょ?
なのにどうして、私に黙って仕事するの?アンタに何かあったら…
また、一人ぽっちになっちゃうじゃない。大切な人を見送るのはアニキだけで…アニキだけでたくさん…!!」

しだいにしゃくりあげるような声になり、ついにその大きな瞳からポタポタと大粒の涙が零れ落ちた。
「ずっと…ずっと一緒だって言ったじゃない。リョウのバカ!バカ!バカ!!バカッ!!!」
「…かお、り…」 
拳を握り締め、俺の胸をドンドンと力の限り打ちつける。
その背を大きく震わせながら泣きじゃくる香を、俺はそっと抱き寄せた。
泣きじゃくる香の涙に、俺のシャツの胸元がしっとりと濡れていく。
やがて胸を打ちつけていた香の手が俺の背に回され…
俺たちはいつしか、しっかりと抱き合っていた…。




その胸の温かな存在を確かめるように、ギュッと抱きしめる。
鼻をくすぐる香の柔らかなくせ毛にうっとりとしていた俺の目に端に…"何かが、いた。
「……」
気がつけば…魂の抜けた男がリビングに、一人。
…やっべ。コイツの存在、すっかり忘れてたぜ。
香を抱いたまま思わず苦笑した俺と目が合うと、男は地の底から生還したかのような深ぁ~いため息をつき、
ふらりと立ち上がって、おぼつかない足取りでリビングを出て行った。
その間香は、俺の腕の中で…。
男の存在など、これぽっちも気づいてないらしかった。
香の中のアイツの存在はその程度だったのか…と、安堵のため息をつく。
香の温かく柔らかな身体を感じつつ、ここ数日の俺の苛立ちは、
電話がなるたびに、どうしようもなくやるせなかったあの思いはいったい何だったんだよ…と苦笑した。



…と、腕の中の香が、やおら顔を上げる。
「まぁ~ったくアンタってヤツは、人に秘密ばかり作って心配させて!!
何べん言ってもわかんないアンタにはぁ~~~っっっ!!!」
ゆらりと立ち上がったかと思えばその手には、シャキンッ!!と、
常より一回り大きな特別製・怒りMAXのハンマーが握られていた。

「その物覚えの悪い脳ミソ、新しいのと取っ替えて来なさぁ~~~いっっっ!!!」
「うわぁぁぁ~~~っっっ!!!」
久しぶりに食らったハンマーは、これまで苦しみに耐えていた分の怒りを含み、
今までにないほど強烈で…。

俺はリビングの床を抜け、その下も、そのまた下の階も通り抜け、
1階ガレージの冷たいコンクリートと熱いキスを交わした。




「な…何でこうなるの…か、な…?」
ハンマーの下で手足をひきつかせれば、遥か上空のリビングから、
さっきまで俺の腕の中にいた愛しい女の声が聞こえる。

「明日は朝からビラ配りだからねっ!!ちゃんと起きるのよっ!!」
「は、はぁ~…い…」
とりあえず、今日は久しぶりにぐっすりと眠れそうだった…。




END    2005.5.15