●鏡越し●



ガチャリ……と扉が開いたとたん、鬱蒼とした巨大なが現れた。
「………おそよう」
「……んー……」
ため息をつきつつ、ジト目でにらむ私を無視して。
が面倒くさそうに言葉を発した。



髪はボサボサ、目はやっと半分が開いたところで、顎にはうっすらと無精ヒゲが見てとれる。
上半身には何も身に着けておらず、パジャマ代わりのスウェットのゴムが緩んでいるのか、ウエストからズリ落ちて。
腰骨の辺りで何とか留まっているという姿が、何とも情けない。
すれ違う時、ふと。
その身体から、昨夜の名残のアルコールと、安物の香水のにおいがした。



「もう……朝っぱらから鬱陶しいわねっ!!早く顔洗って、ちゃんと目ぇ、覚ましなさいよっ!!」
「んー………」
またもや生気の無い返事。
「ふわぁぁぁ~~~………」
と欠伸をした時、その大きな口から、こもったアルコール臭が吐き出された。




「うっぷ……ちょ、ちょっと、リョウッ!!飲み歩きも大概にしなさいよね?
あんたもいい歳なんだし、身体に悪いでしょ?それに第一……むっちゃくちゃ臭いっっっ!!!」

ものすごい悪臭から逃れようと、仕舞い掛けてたリネン類で鼻を覆う。
「らってよぉぉぉ~……れこまんまのしゃくららんが、俺のコト離してくんらかったんらもん~……」
舌の回らない口調でそう言いながら、勢いよく水を出してバシャバシャと顔を洗いだす。
その水滴が洗面台にも鏡にも、床にまでも跳ね上がった。
「ちょっ…ちょっとっ!!水飛沫が上がるから、もうちょっと静かに洗ってよっ!!」
「ふぉぉぉ~い………」



小言を言いつつ、顔の見えないのをいいコトに、その引き締まった腕や背中にしばし見惚れる。
逞しい、まるで鋼のように引き締まった身体に散らばる、数え切れないほどの傷跡。
リョウの生き様を表したような、広く大きな背中。
この太く逞しい腕に幾度と無く助けられ、守られてきたんだと思うと、胸が熱くなる。
「香ぃ…タオル~……」
大きくプルンと首を振って、また周囲に水飛沫を跳ね上げて顔を洗い終わったリョウが、うつむいたまま後手でタオルを求める。
その仕草が妙に子供っぽくて、思わず笑みがこぼれた。
「はいはい」と答えながら、今しまったばかりのタオルを渡した。



顔を拭き終わったリョウは、そのまま首にタオルを引っ掛けて。
未だ眠たげな頭に渇を入れるべく、両手で軽く頬を叩いた。
そしてシェービングクリームをたっぷりと乗せた顎を鏡に向かって軽く突き出して、ゆっくりと剃刀を当てていく。
ふいに静かになった洗面所に、ジョリジョリとヒゲを剃る音だけが響く。
鏡に映った自分をじっと見つめる、少し伏目がちな瞳が妙に甘さを含んでいて。
長いこと一緒に暮らしてるけど、そんなリョウを、今までに見たことが無くて。
思わず……ドキリとしてしまった。



……と、ふいにリョウの視線が鏡越しに私を捉えて。
そのままヒゲを当たりつつ、ニィと意地悪く目元と口元とをゆがめた。
「なぁ~んだ、急に静かになったのかと思えば。香ちゃんてば、俺に見惚れちゃってたわけぇ~?」
「なっ……何をバカ言ってっっっ//////」
図星を突かれ、思わず言葉が詰まる。
そんな私を楽しむかのように、リョウは「ふ~ん?」と口元をゆがめつつ。
私へくれた視線をそのままに、器用にヒゲを当たっていく。
その目元が、楽しげに揺れているのが憎たらしい。



「だっ……誰がアンタなんかにっっっ/////は、早いトコご飯、食べちゃってよね。
キッチンが片付かなくて、たったっ……大変なんだからっっっ!!!」

言葉とは裏腹に、瞬時に顔が赤く染まっていくのがわかる。
それでも精一杯の強がりで怒鳴ってみれば、当の本人はいとも楽しげに笑っていた。
「まぁそういうコトにしといてやるよ。んじゃぁリョウちゃんは、朝メシ食ってこよぉ~っとっ♪」
そう言って、ヒゲを剃り終わって顔を拭いたタオルを私の頭にバサリと被せて。
くっくと楽しそうに笑いながら、洗面所を出て行った。



パタン……と閉まった扉の向こう側からも、くすくすという笑い声が聞こえてくる。
「………っっっ//////」
全てを見透かしているようなリョウの笑い方に、言いようの無い恥ずかしさが募る。
唇をギュッと噛み締めて、荒い息を整えようと深呼吸して。
とたん、リョウが放っていったタオルから立ち昇る、リョウ自身のにおいに包まれている自分に気がついて。
さらに胸の鼓動が早まった。



「も……もうっ!!朝っぱらから心臓に悪いじゃないのよぉぉぉ……//////」
鏡を見なくてもわかるほど真っ赤に染まった頬が熱くて。
あんなセリフのひとつで骨抜きにされちゃう自分が悔しくて。
どうしようもなく惚れちゃってる自分が……情けなくて。
そのままズルズルと壁にもたれて、ペタンと床に座り込んだ。




END    2005.11.29