●角砂糖●



しとしとと小雨が降りしきる窓の外に目をやりながら。
「よく降るわね」と、小さなため息をこぼしながらリビングのソファに腰をおろす。
テーブルに置いたカップには、珍しくも頂き物の紅茶なんかをいれてみた。
いつものコーヒーとは違う、ちょっと気取った感じの高華な匂いが、ふわりと鼻をくすぐる。
決して嫌いじゃぁないケド、慣れ親しんだコーヒーのそれとは違うのに、ちょっぴり違和感を感じてみたり。
「あまり高価なモノは身にあまる……ってコトかしら」
と、身体にしみついた貧乏性にくすりと笑みをこぼした。



頂き物のそれに合わせて、と、これまた珍しく、角砂糖なんかを取り出してみた。
小さな包みをぺりぺりと剥がし、ゆらりと湯気ののぼる琥珀色の中にそれをぽとんと落とす。
とたん、小さな四角い中から、しゅわしゅわと。
角砂糖の中にあった空気が、無数の気泡となって沸き上がってきた。
その小さいくせに勢いのある気泡に目をくれながら、次第に崩れゆく角砂糖をじっと見つめる。
小さなカケラがぽろりと落ちたかと思ったとたん、その周囲からさらさらと溶け出して。
気付けばその形状を留めていたコトが嘘のように、カップの底に、小さな砂の山へと姿を変えていた。



「……………」
瞬く間に姿を変えていく角砂糖に、思わず魅入る。
今日、普段のコーヒーに変えて珍しくも紅茶などにしたのは、ちょっとした気分転換のつもりだった。
伝言板チェックを終え、美樹さんトコで軽くおしゃべりしての帰り道。
スーパーの特売で、思わず買い溜めしてしまった野菜たちが妙にずしりと腕にきて。
私も歳とったものねとひそかに苦笑する。
……と、そんな苦い笑みをこぼしたその瞬間、少し遠くから聞こえてきたのは、ヤツの声。
いいかげん歳相応に落ち着きなさいと言ったトコロで、俺は万年ハタチだと、バカのひとつ覚えに繰り返す男の声だった


「はぁ~い!そこのもっこりお姉さん。あっちの静かなホテルで、ぼくちゃんとお茶しない?(笑)」
どうしたってバカは治らないかとガックリ肩を落としながら。
それでも見過ごすワケにはいかず。
どうせなら、その無駄に下半身に集まってるパワーを有効活用させてやろう、と。
このズシリと重たい野菜たちを、アパートまで持ち帰らせよう、と。
街中の通行人の邪魔にならないように、いつまでたっても成長しないバカ男に気付かれないように。
そっと静かにミニハンマーを召喚しようとした、その瞬間……ドコかのバカ男のセリフに、思わずその手が止まってしまった。
「うっわぁ~白く細い指先!きれいなお手々だね~。白魚の手って、君のためにあるんだねー」



ただでさえバカな男のバカでかい声に、思わず己の手を見て。
そしてそのまま、しばし沈黙。
その性格から毎日こまめに掃除洗濯を熟していく指先には、いくつものささくれが出来ていて。
気をつけてはいるものの、指先のケアなど、どうしたって忘れがち。
働きもしないクセに、無駄口ばかり叩く大飯食らいの誰かさんの食欲を満たし、その住居環境を満たし。
清潔を満たすことこそ優先にすれば、どうしたって自分自身のコトは後回しになってしまい。
まぁ特別不便も感じてないし、ま、いっか……とたかを括っていたのだが、
心ならずも気になる男のその口から、美しい手の女性を誉めそやす言葉が聞こえてくるというのは……どうにもいただけない。
「仕事もしないで家事の手伝いもしないアンタが悪いっ!!」
と、言ってしまうコトも出来たのだけど……そう言ったトコロであの男が殊勝に頭を下げるとも思えなく。
そしてまた己の指先に視線を落とし、ほぅと小さくため息をこぼして、アパートへと重苦しい足を引きずっていった。



「あの調子なら、どっかでお茶くらいしてくるかしらね」
フフンと鼻で笑って、買い物を冷蔵庫に入れていく。
「ご飯いらないかもね。一人かぁ……何か適当にしとくかなぁー」
使いかけの野菜の半かけやら残りモノのタッパーにチラリと目をくれる。
「残りモノでチャーハンとスープくらいは作れるかな……うん」
使いかけのラップに包まれたハムをさいの目に切っていく。
「ふん……どーせ有り合わせ料理ですよーだ」
使いかけの半かけ玉葱を粗くみじん切りにしていく。
「誰かさんが仕事しないから、そうでもしなきゃ、やっていけないんですよーだ」
ザクザクと包丁が玉葱に吸い込まれて行く。
「無駄にしないようにやり繰りするのだって、大変なんだからね?
白魚の指?ンなモンで、いったいどんな料理が出来るってのよ?」
誰にぶつけるワケでもない心のわだかまりを、小さな玉葱にぶつけていく。



「だいたいねぇ、誰のせいで私の指がこんなに……っ」
玉葱を刻むなんて、日常茶飯事。
こんな作業で涙を流すなんて、有り得ない。
よっぽど料理をしない不器用な人のするコトね……と、そう思っていたのに。
それなのに……鼻の奥がツンとなって、視界が揺らいで。
粗みじん切りがザク切りに見えてしまったあたりで、頬を伝う温かな流れに気がついた。
「………っ」
あまりに思いがけないコトに驚き、大きく瞬きした瞬間、まな板の上、透明な粒がぽとりと落ちた。



その透明な水滴の正体を考える間もなく、チクリ……と、指先に小さな痛みが走る。
「……っ……やっちゃった……」
左手の人差し指の、その先の。
小さく走った傷痕の奥からは、赤い液体がじんわりと滲み出て、その表面をゆっくりと侵食していった。
「……まったく、ドジなんだから……」
誰に聞かせるでもなく悪態ついて、ふぅとため息。
そして切り終えたあらかたの具材をボウルに移したところで、タイムリミット。
自分の中の気持ちが、ギリギリいっぱい。
もう限界間近……と感じて。
このままあやふやな気持ちのままで火や油を使うのは危ないと判断して、手をとめた。
「ひとまず休憩……よね。気分転換しなきゃ」
そう言って、いつものコーヒーよりはさらなる気分転換になるかと思い、件の紅茶に角砂糖という組合わせになったのだった。



さらさらと音も無く、砂のお城が海風に崩されていくように消えていく角砂糖。
いつまでも女遊びをやめないリョウへの文句も、その周囲にあまたはびこる女性たちへの醜い嫉妬も。
こんな風に跡形もなく消えていってくれたら。
そしたらこんな風に物思いに沈むコトなく。
「……楽なんだろうなぁ……きっと」
そんな姿を見ている内に、心の中の呟きを知らず、口に出していた。
と、思いもかけず、背後から間延びした声が降り注いだ。
「なぁ~にが楽、なんだぁ?」
「……っ!!リ、リョウっ!!」



その声に驚いて振り向けば、いつものジャケットを肩にかけ、
赤いシャツの胸元にぱたぱたと風を送りながら小首を傾げるリョウがいた。
「アンタ……何だってこんな早い時間に帰ってくるのよ。ナンパはどーしたの?」
そうよ、白魚のようなきれいな指先のもっこり美女と、今頃はお楽しみだったんじゃないの?
「だってよぉ……外はハンパない蒸し暑さなんだぜ?
いくら薄着で露出度を高くしたって、女の子たちも熱中症で倒れちまぁな」
そう言って、ふぅ~とため息ひとつこぼしながら、ソファにどっかと腰をおろした。



それまでドップリと負の感情に押し潰されてただけに、すぐにいつものやり取りが出来なくて。
少し伸びかけた前髪を払うフリして、目元と頬をクイと拭い。
気どられないよう、静かにスンと鼻をすすって息を整え、唇を開いた。
「だっ……だからって、こんな早く帰って来たって、ご飯の仕度、まだ出来てないわよ。
アンタはまたナンパだろうと思って、夕飯の材料無駄にしないように、今日は簡単に済ますつもりだったんだからっ!!」
「……へぇ~?」
人の話しに耳を貸さないような口ぶりでそう言いながらも、
チラと視線を走らせたその先が絆創膏の巻かれた指先に行き着いて。
慌てて隣にあったクッションを抱え込むフリして、それを隠した。



「……何、それ」
素早く隠したつもりでも、撃ち込まれる弾の行方さえ見抜ける動態視力のリョウのコト。
深く握り込んだ指先の絆創膏を見咎められた。
「……なっ、何が?」
「……それ。絆創膏。指、切ったのか?」
「……う、うん……」
隠せる状況になく、また、そこまでして無理に隠すコトでもないので、観念して握り込んだ指先をそろりと開く。
「……ったく。小学生じゃねぇんだから、指なんか切るなよな。仮にもお前、商売モンだろ?」
いちいちお説ご尤もで、返す言葉が見つからない。
普段なら「何ですってぇ~?!」と、勢いよくまくし立てるのに、今日はそこまでのパワーはなくて。
下唇をキュッと噛み締め、視線を逸らした。



…と、思いも寄らぬそんな私の態度にいひょうをつかれたのか、
「……ん~まぁ、何だ……な」と、リョウが重たげに口を開いた。
「まぁ、このハンパねぇクソ暑い中でも、毎日飽きもせず掃除やら洗濯やらやってんだ。お前も疲れがたまってんだろ。
そうだ……な、いい機会だ。たまにゃ俺が腕を振るってやろうか?」
「………へっ?」
先程からいつになく凹みがちだった脳ミソが、あまりに突然の展開についてゆけず。
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「ンだよ、バカみたいな声出しやがって。たまにゃいいだろ?
俺だって、一人でそれなりにやってきてたんだ。今夜は久しぶりに俺が腕を振るってやるよ」
ふふんと鼻で笑うリョウは、いかにも自信満々で。
私はと言えば、どうしてこうなったのかと、ちんぷんかんぷん。
……何?何がどーなっちゃったの???



戸惑いがちにリョウの後を追ってキッチンに行けば、作りかけの食材に目をやりながら袖をまくる。
「何だ、途中までやってあんじゃん。これから見るトコロ、今日の夕食はチャーハンか?
それにしちゃぁ材料が足んねぇなぁ……って、おっ?何だ、冷や飯もまだあんじゃねぇか。おっ?こっちにゃベーコンも。
こいつを分厚く切って、ボリュームたっぷり男のチャーハン、作ってやるよ」
……と、冷蔵庫をガサゴソと弄りながら私のとって置きのベーコン
(家計がいよいよもって限界に達した頃、最後の最後に頼ろうと保存してたヤツ)まで取り出して。
そのまま有無を言わさず、ペリペリと袋を開けていく。
私はもう、鼻歌まじりのそんなリョウを、ただただ黙って見つめるだけだった。



男の料理と言い切っただけに、私があらかじめ切り置いてた具材よか、
はるかに大きなサイズに、たくさんの材料をザクザクと切り分けていく。
コンロに掛けたフライパンが熱されるのも、腰に手を当て、気分よさげに鼻歌まじり。
……と、そんなリョウが私に背を向けたまま、躊躇いがちに口を開いた。
「……そのぉ……何、だ。
仕事ン時以外にも、こまめに伝言板見に行ったり、掃除したり洗濯したり料理したりと……
ホント、お前はよくやってるよ。その……サンキュー……な」
普段口にしない言葉に己で照れたのか、耳元がうっすらと赤くって。
その肝心の、消え入りそうに小さな声を隠すかのように、
熱せられたフライパンに勢いよく具材を放り込み、フライ返しでガシガシと炒めだす。



思いもかけない言葉に、一瞬、目が点になったケド。
でも、リョウが隠したかったであろう……そのくせ、本当はちゃんと伝えたかったであろうその言葉を、
私の耳ははちゃんと捕らえてて。
知らず、こちらの頬も赤くなってしまった。
思えばいつだってリョウは軽口こそ叩くケド、私の作った料理は何でもきれいに平らげてくれた。
よくよく考えてみれば、掃除や洗濯などの家事で荒れた手だって、
リョウのパートナーとして、ちゃんとその生活管理をしてきてる、その証明(あかし)。
誰に何を恥じるコトもなかったのよね。
そしてどんなコトがあろうとも、リョウはいつだってちゃんとココに……私たちのアパートに、帰って来てくれた。
それだけでもありがたいのに……私ったら、いつからこんなに欲張りになってしまったんだろう……。



そんなコトを考えてたら、さっきまでの暗い思考の渦に呑まれそうになってたコトが、あまりにも馬鹿馬鹿しくなって。
口下手なリョウが、その想いをちゃんと口にしてくれた……それがひどく嬉しくて。
何だかしだいに緩んでく口元を抑えきれなくて。
「そう……ね。じゃぁ、メインはリョウにお任せして、私はスープでも作ろうかな」
……と、何かからかいの言葉を言われないようにと、見えないようにくすりと笑みをこぼしながら。
大きなガタイでフライパンと格闘してる、口は悪いケド……普段の態度も、見れたモンじゃぁないけれど。
それでも情けないコトに、どうしようもなく大切な最愛の男性(ひと)のその隣に、そっと並んだ。





END    2009.8.25