●槇ちゃんの苦悩●



「ただいまぁ~。香ぃ…腹が減ってかなわん。すぐメシにしてくれ」
「あ、おかえりなさい、アニキ」
コートも脱がないまま、重たい身体を引きずるように食卓に着く。
「あ…ん、もうっ!!アニキったらコートくらい脱いでよねっ?!」
ヨイショとコートから俺の腕を抜き、ハンガーにかけて鴨居に吊るす。
続いてホカホカと湯気の立つ大盛りの肉じゃがの器が、ドンと食卓に据えられた。
それを見た俺の腹がグルルと鳴り、とたん、箸を引っつかんで
メシの入った茶碗片手に肉じゃがにかぶりついた。

「ちょ…ちょっとアニキったら、落ち着いてっ!!」
注意する香の声を無視し、丸一日メシを食ってない人間のように、すごい勢いでメシをかき込む。
そのあまりの食いっぷりをいぶかしんだ香が、恐る恐る問いかけてきた。



「えっと…アニキ?いったいどうしたっていうの…?」
「むぐむぐ…いや、何。腹が減ってるだけ…さ…んぐぐっ……」
「だってお昼…お弁当持って行ったのに…」
「あぁ、弁当…な。実はあれ、ほとんど食ってないんだ」
「…えぇっ?! どうしてっ?!」
あっという間にメシを空にし、茶碗をズイと差し出しながら返事をする。
「いやぁ…今日は坂下組の拳銃の取引の張り込みだったんだが…
ヤツら、なかなか姿を現さなくってな。

それで張り込んでる間、あまりに腹が減って…弁当を食おうとしたら、
リョウのヤツにほとんど横取りされちまったんだ」




てんこ盛りのメシの茶碗を受け取って、再度肉じゃがと対峙する。
「そんなぁ…今日はせっかく、アニキの好物ばかり入れたのに…。
じゃぁアニキ、朝からほとんど食べてないのね?

くっそぉ~リョウのヤツっ!!よくもアニキのお弁当を~っっ!!
今度会ったら、ギッタンギッタンにしてやるぅ~っっっ!!!」

俺がものすごい勢いで食べていくものだからもう一品何かを作ろうとしているらしく、
何か野菜を刻んでいた香。

手にしていた包丁をにらみ、ギラリとした目を光らせる様は、
我が妹ながら見てはいけないものを見てしまった…という気にさせられた。




そもそも…リョウと香は相性が悪かった。
男勝りで気の強い香は、何事にもルーズで女垂らしでヘラヘラしているリョウの
一挙手一投足が気に入らないらしく。

カンに触ったことがあれば平気で口を出し、そしてそれと同じくらいの速さで手を出した。
この前も俺の後についてリョウのアパートに行き、そのあまりの散らかりように
未だ寝ていたリョウをたたき起こし、怒鳴り出した。

汚れ物を洗濯機に放り込み掃除機をかけ…と、
めまぐるしく動く様は、まるでハウスキーパーのようで。

そうしていながらも、ブツブツと起き出して来たリョウに熱いコーヒーを淹れてやる
優しさも見せたりする。




それなのに、リョウは自身の眠りを妨げられたコトにブツブツと怒り出し、
それを聞きつけた香と掴み合いの喧嘩になるほどだった。

「喧嘩するほど仲がイイって言うしな…」などと言ったら、
二人そろって「冗談じゃないっ!!」と叫んだっけ。

カンカンに怒ってたけど、二人でハモるのは仲がイイって言うんじゃないか…?
と、思わず苦笑した。




だいたい…だ、な。文句を言いつつリョウの世話を焼く香の顔…
それを見れば、お前がリョウに惚れてるのは、一目瞭然で。

散々怒鳴りあっていたかと思えば、言い負かしたリョウにくすりと笑う瞳の、
何とも言えない艶めいた色…。

感情がそのまま表情に出るのは香の長所なのだが、
まさかこんな顔を見せられるとは…な…。

正直、ショックだったぜ…?



そしてリョウも、また然り…だ。
口うるさく世話を焼く香に、まるでガキのように文句を言い返す。
コイツと出会ってその心の奥底に潜む闇の深さを知り、
心に巣食う何か暗い過去が原因の、余人を寄せ付けない暗い瞳を知り。

どうしたらコイツと、互いに心を開いて分かり合えるのだろうかと思ったのに。
それなのに…香はいとも簡単に、それをやってのけてしまった…。



リョウ…お前、香と喧嘩している時、自分がどんな顔をしているか見たことがあるか…?
俺に言わせりゃ、まるで小学生か中学生の様だぜ?
ホラ、あれだよ。
クラスに一人は必ず居る、好きな子ほど苛めてしまう、ひねくれ者…ってヤツ。

お前、そういう顔してるんだよ。
お前のそんな顔…心の武装を解いた自然な表情を、まさか香が引き出すとは…な。
お前がそんな風に笑うなんて、思いもしなかったよ。
それに…だ、な。
プンとふくれる香を見つめる時のお前の瞳…どうしようもなく優しい、
愛しいものを見つめる男のそれだ…って、気づいてたか…?

口ではああだこうだと言いながらお前ら二人、互いを憎からず想っているんだろう…?
まったく…我が妹といい、我が相棒といい、どうしてこうも素直になれないものかなぁ…。



「…で、リョウのバカは…?」
「あぁ…今頃はまだ仕事だろう。終わったら連絡よこすって言ってたが、そろそろ…かな。
今回は少々ヤバイ仕事だったが、まぁアイツのコトだ。大丈夫だろう」

「…そ、う…」
トントンと包丁で刻むその肩が、心なしか震えている。
アイツを心配しているくせに、そんな素振りは露ほども見せなくて。
野菜を刻むその背に隠した顔は、いったいどんな悲しみと不安の色を浮かべているのだろうか…。
何か言葉をかけてやろうとしたその時…旧式の黒電話が
ジリリと大きな音を部屋中に響かせた。

とたん、香の肩がびくりと震え、包丁の音が止んだ。



「はい、槇村です」
香の肩から目を離さずに受話器を取れば、はたしてそれは、
噂の主たる男からのものだった。

「あぁ、リョウか。うん…そうか、無事に片付いたか。お前は大丈夫か?ん?
雑魚を相手に怪我するかって?ははは…そうだな。
心配はしてなかったんだが…一応、聞いたまでさ」

俺の言葉にピンと張り詰めた緊張感が走っていた香の背中から、ようやく力が抜けていった。
そして大きなため息をつき、再びトントンと野菜を刻んでいく。
その背を見ながら会話を終え、チン…と受話器を置いた。



「リョウからだったよ。仕事…無事に片付いたそうだ」
「ふーん…。あんなバカ、少しはアタマでも打たないとマトモにならないのにね。
残念だったわねー」

トントンとリズミカルに、野菜を刻む包丁の音。
その背からは、先ほどの緊張感は少しも感じられない。
まったく…我が妹ながら、意地っ張りなヤツだよ、お前は…。
「腹が減ったんで、メシを食わせろってさ。あと少しでコッチにくるそうだ」
「えー?!やだ、もう…アイツってばバカみたいに食べるんだもの。
我が家の冷蔵庫、空っぽになっちゃうじゃなぁーいっ!!」

腰に手を当てぷぅとふくれっつらをしたのも一瞬で、すぐさまメニューを増やすべく
冷蔵庫を開け、中身とにらめっこを始めた。




…しばらくして、コンコンと玄関をノックする音。
ガチャリと開ければ、そこには件の男の姿があった。
「よう、槇ちゃん♪」
後ろ手に扉から顔を覗かせるリョウは、先ほど“仕事”を終えてきたとは思えないほど暢気な顔で。
「オッス、香ちゃん♪俺、腹減ってんだよね。何か美味いモン、食わせてくれよな。
…っと、そうそう、コレ、香ちゃんへのお土産♪」

と、ニヤつきながら、右手から大きな赤い風船を差し出した。
「私の作る料理がマズイわけはないのっ!!
それをマズイって言うなら、アンタの舌がおかしいのよっ!!
それに…何よ、その風船は。子ども扱いしないでちょうだいっっっ!!!」

ギャンギャンとまくしたてながら、香は出来立ての具沢山の野菜炒めをこれでもかと大皿に盛り付けていく。
まったく…お前の意地っ張りには呆れちまうぜ、リョウ…?
その左の後ろ手に持っているケーキの箱…それこそが、香への土産なんだろう…?
フンと鼻で笑い、アゴで「入れよ」と促せば、肩をすくめてニヤリと笑いやがった。



…ちょっと待て、よ…?
そうするといつの日か、コイツに「義兄(アニキ)」なんて呼ばれる日が来るってコト…か?
…う゛ーむ…何だか激しく違和感を感じるなぁ…。
まぁ遠い未来、そんな日が来るのだとしたら…。
その時は、リョウ?

「めーいっぱい」、苛めてやるからな。
せいぜい今から、覚悟しとけよ?!



そんなコトを思いつつ、冷たい風の吹き込む玄関の扉をパタンと閉めた。




END   2005.5.24