●マスクの理由。●




2月に入り、梅の花もほころび始めたという今日この頃。
ようやく春めいてきたな、と思った矢先の寒の戻りには参ってしまう。
おかげで今日は朝から、閑古鳥。
することも無く、このままじゃ、お店中のカップを磨き上げてしまいそうよ……?
そんな中、カララン……というカウベルの音に目を向ければ、
一陣の冷たい風を吹き込ませながら、いつも私たちをヤキモキさせる友人二人が入って来た。



「……あら、いらっしゃい、冴羽さん、香さん」
「こんにちは美樹さん、海坊主さん」
片手をあげ、あいさつするだけの冴羽さんと、
一方の香さんは、いつものように穏やかでかわいらしい笑顔をくれたものの、
その鼻から口元は、白いマスクで覆われていた。
「あら……香さん、風邪?」
「え、ええ……ちょっとね」



いつものカウンターに腰掛けながら返事を返す、その言葉尻はマスクに覆われたせいか曖昧で、声も掠れていて話しづらそう。
「そうなんだよ、美樹ちゅわぁ~ん。
何とかは風邪ひかないって言うけど、ありゃぁ迷信だったんだねー♪」
いつものように無駄にすり寄ってくる冴羽さんは、
横から伸びてきたファルコンの手にむんずと捕まれ、虫けらのようにひっぺがされた。
やれやれ、この人は相変わらずね。
何とかは風邪ひかないの何とかは、冴羽さんのコトなんじやぁないかしら……?



「日中はどうにかだけど、朝晩の冷え込みは厳しいものね。
今日あたりはぐんと冷え込んだし……香さん、いろいろ頑張りすぎるからよ。
家事なんて、少しは手を抜いたって全然大丈夫なのよ?」
「うん……あはは……」
いつもの二人専用のマグを棚から取り出しながら、
お客さんが少ないのをいいことに、世間話に華を咲かせる。
「冴羽さんはいつものでいいわよね、香さんは……」
「……香には、これだ」
風邪引きの香さんには、なにか特別あたたかいものをと思った矢先、
横からすかさずファルコンが声をかけた。
ほかほかと湯気が立ち上るマグからは、少しツンと鼻にくるようなスパイシーな香りと、
一足早く春が来たかと思うような、ふんわりとした柔らかな甘い匂い。
「生姜湯……?」
「……そうだ。風邪を引いたときは、とにかく身体をあたためることだ。
外から何するより、身体の中からあたためた方が効率的だからな」



「……ありがとう、海坊主さん」
そう言って、ファルコンが出した生姜湯を両手に包むようにして受け取ったけど、当の香さんは何だかちょっぴり飲みにくそう。
ハチミツも入ってるし、喉には優しいはずだけど……やっぱり熱いものは沁みるのかしら……?
そんなことを考えてたら、生姜湯をちびちび口に含む香さんが時折唇を突き出して、
しれっとしてる冴羽さんを横目で睨んでいるのが見て取れて。
もしかして……と、そっと目配せしながらアイスコーヒーを出してみれば。
うっすらと頬染をめ、気恥ずかしそうに肩をすくめながらも、おいしそうに、嬉しそうに喉へと流し込んだ。
なるほど……ね、そういうコト。



友人たちをやきもきさせていたこの二人が、男女の一線を越えたのはひと月ほど前のコト。
それまでの傍若無人な態度はどこへやらと、冴羽さんの香さんへの溺愛っぷりは、私たち友人の目にも余るほど。
四六時中、傍に置き、あれほど嫌がってた日課の伝言板チェックには、
毎日二人そろって駅へと出向くもんだから……。
その変貌ぶりたるや、二人を知る人たちの間では、新宿の七不思議のひとつに例えられてるとか、いないとか。
考えるに、ここ最近、珍しく大きな仕事を終えたばかりのお二人さん。
思うに無節操極まりないこの男は、長くたまってたフラストレーションをこれ幸いと、
昨夜はそれを、香さんへダイレクトにぶつけたんでしょうね。
そしてその欲望を拒否する理由(わけ)もない香さんは、そのか細い身体で一心にそれを受け止めた結果……
一晩で声が枯れてしまったと、さしずめ、そういうコトかしら……?



「冴羽さん…?ほどほどにしてあげてよね」
きれいな頬を赤く染め、恥ずかしそうにうつむく香さんを横目で見ながら、ため息まじりに苦言を言えば。
ふふん…と美味そうにタバコをくゆらせながら、ふてぶてしそうな微笑みを投げてよこした。
まったく……どれくらいハードでホットな夜だったのかしらと、思わず想像しちゃった私の横で、
納得のいったファルコンが真っ赤になりながら、頭からシューシューと湯気をあげていた。




END    2019.2.10