●見えない水平線●



仕事を終え、アパートへと車を走らせる道すがら。
今にも泣き出しそうな空からポツリポツリと、小さな雨粒がフロントガラスに跡を残したかと思えば。
とたん、それは霧のような雨へと姿を変えていった。
「ちっ…降ってきやがったな」
「そうね、アパートまでは保つと思ったのに…」



激しく打ち付ける雨とは違い、霧のようにシャワーのように降る雨だけど。
その水煙によって、窓の外に見えていた水平線はぼんやりとしたものになり、いつしか空と海との区別がつかなくなっていた。
昼下がりだというのに、海岸線を走る車は私たちのこの小さな赤い車だけで。
対向車線に時折、すれ違う車があるだけだった。



そんな静かな海岸線に、雨音に紛れ、打ち寄せる波の音が聞こえる。
どぉぉぉ…ん…  どぉぉぉ…ん…という静かな低音に目を閉じれば、眼裏に浮かぶのは、どこまでも抜けるように真っ青な空と白い雲。
陽に照らされ、キラキラとした光の粒を煌かせながら、何度も何度も、こちらへと打ち寄せてくる波。
大きくって、どこまでも果てしなく広くって、丸ごと全部包み込んでくれるような安心感…。
まるで、リョウみたいだな…と思った。



白い波頭を立たせ、勢いよくコチラに向かってきたかと思えば。
そっけないほどにアッサリと、引き下がっていってしまう。
でも、その返す波に私は幾度となく足元を掬われそうになって。
いっそのこと、このまま攫われてしまえば…と思ってしまう。
でも、返す波にそれほどの勢いは無く。
結局いつも…ポツンと一人、私は砂浜に取り残されるのだった。



今回の依頼人も、そう。
顔良しスタイル良し、性格良しの勝気な美女は、依頼の間中もっこりしっぱなしのリョウに呆れ返っていたけれど。
でも結局、予想通りに…彼女はリョウに、惹かれていった。
そして依頼を終えた帰り際、“今後”を期待する熱っぽい瞳の彼女に、今までの態度はドコへやらと言うほどのそっけない態度で。
見ているコチラまで悲しくなってしまうような、そんな冷たい別れ方をするのだった。
優しいのか冷たいのか…この男の本性を短い時間で知ろうと言うのは、到底無理なことなのだろう…。



「くしゅんっ!!」
考え事をしていて気づかなかったけど、雨のせいで少し気温が下がったみたい。
何となく寒さを感じてスンと鼻をすすり、両の二の腕を摩った。
…と、ハンドルを手に前を見据えていたままのリョウが、おちゃらけた調子で声をかけてくる。
「おいおい何だよ、風邪かぁ?何とかは風邪ひかないって言うから大丈夫だろうけど、気をつけろよ?」
「うるさいわねぇ…」
ほら。こうしてまたいつものように、憎まれ口の言い合いが始まる。
リョウのこと、ひねくれ者だなんて言ってるけど…私も人のこと、言えないわね…。
「後ろに毛布があるだろ。本気で風邪引く前に、引っ被っとけ」
「……」
ちょっとトーンを下げた声で、目は前を向いたまま、顎だけをクイと後部座席に振ってみせる。
優しいのか冷たいのか、はたまた意地悪なのか何なのか…この男は、本当にわからない。



雨と雲のせいで、まるで見えない海と空との境界線。
それはまるで、ハッキリと己を見せてはくれないリョウ自身のようで…。
私は思わず、くすりと笑ってしまった。
「…何だよ…?」
「…ん~?何でもなぁ~い///」
くすくすと笑いながらそう言って、後部座席の毛布を手に取った。
肩に掛け、スッポリと身体全体を包み込めば、やがてじんわりと身体に熱が戻ってきた。



私の気持ちを知ってるくせに。
依頼人の彼女の気持ちも、知ってるくせに。
それでもそっけない態度で、知らんふりを決め込むリョウ。
その冷たさが、時にはグサリと心に深い傷をつくる時もあるけれど。
こうして時々見せてくれる優しさに、その傷は直ぐに治ってしまうの。



今は雨に煙って見えない水平線。
でも、雨が止んだら、その姿を見せてくれるだろう。
リョウの心を隠している雨が、いつまで降り続くのかわからないけれど。
いつか、その雨が止んだなら…。
その時は、リョウの本当の心を見せてくれるよね…?
その日まで、どれだけの時がかかるか想像もつかないけれど。
それでも私は、その日が来ることを信じて、これからもリョウの隣に居続けたい。
そしてそれより先も、ずっとずっと、リョウと共に生きていたい…。



「雨…止むといいね…」
「…そうだな」
「早く…晴れるといいね…」
次第に遠ざかる波の音を耳に、私は訪れたまどろみにゆっくりと身を任せた。




END   2005.7.17