●みみずばれ●



「いったぁ~いっ!!」
「どうした、香っ!!」



いつも強気な香の悲鳴に、慌てて風呂場へ駆けつけてみれば。
「ちょっ、ちょっと。急に入ってこないでよ、エッチ!!」
というセリフとともに、風呂桶が見事に頭にストライク。
気になりつつもしばしリビングで待てば、髪から落ちる雫をタオルで拭きながら、
パジャマを着た香がやってきた。




「おい……何なんだよ、さっきの悲鳴は……」
「あぁ、あれ?コレよ、コレ。お風呂に入ったら、沁みちゃってさ。もう、痛いのなんのって!!」
そう言って袖口をまくって見せた手首には、一筋のみみずばれ。
白い手首の甲から二の腕にかけて、お湯に濡れて赤く腫れ上がったその痕が痛々しい。



「夕方、猫に引っかかれちゃってさ。たいしたこと無いと思ってんだけど。あー…痛かったっ☆」
「猫…って、野良猫か?大丈夫なのか?」
狂犬病じゃないけど、何かヘンなウイルスとか感染(うつ)されたんじゃないかと心配になる。
「あ、それは大丈夫。だって、大家さんちのゴンタだもん」
「ゴンタか……それならまず、大丈夫だな」



少し離れた一軒家に住むこのアパートの大家は、無類の猫好きで。
子供のいない彼女は、愛猫・ゴンタを文字通り猫可愛がりしていたのだ。
それがモトでか、ゴンタはワガママいっぱいの猫となり。
近所では知らぬ者は無いという、評判の悪ガキ猫なのであった。
だが………しかし。
そんな愛猫に万が一のコトがあったらと考える大家なら、
ゴンタに予防接種のひとつやふたつ、キチンとしているのだろう。

何かに感染する心配は無さそうだった。



「しかし……見事なみみずばれだな。化膿すると悪いから、一応、消毒だけしておくか?」
「うん。あ…でも右手だし、自分じゃやりにくいなぁ~」
上目遣いで、小首を傾げるお願いのポーズ。
まったく……何か頼みごとがある時は、すぐコレだ。
甘いと思いつつ言に従ってしまう俺も、相当な甘ちゃんだな……。
「わかったよ、俺がやってやるから……救急箱、早く持って来い」
「わぁ~ありがと、アニキvvv」



ため息まじりに消毒液を浸したガーゼを手に取り、みみずばれの上をトントンと叩いていく。
いつも明るく元気な、ともすれば少年と間違えられてしまうような香からは
想像もつかないような、白く細い手首。

そして、か細く華奢な手首に走る、一筋の赤。
そのコントラストが妙に艶かしくて、思わずドキリとする。
バカな……に、何を動揺しているんだ、俺は……っ!!
「まったく……猫に引っかかれてみみずばれだなんて、お前もいいかげん、女らしくしろよ?」
心の動揺を覚られたくなくて、ふいに話を持ちかければ。
当の香は、ぷぅと頬をふくらませていた。



「だって……しょうが無いでしょ?あのバカ猫、今晩のメインディッシュたるサンマを焼いてたら、
台所の窓の隙間から入って来ようとするんだもん。

いくら大家さんの飼い猫だからって、そのへんの躾は、ちゃんとしてくれなくちゃっ!!」
サンマをめぐるゴンタとの熱血バトルを思い出したのか、香の頬は風呂上り以上の赤さを帯びて。
その唇も、悔しそうにギリギリと噛み締めていた。



手首は白くか細く、背もすんなりと伸びて。
いつしかその胸元には、隠しがたいふくらみが見て取れるようになった。
俺の知らないところで、香はどんどん大人の女性へと変わってきているんだな……。
その現実と、頬を子供のようにふくらませている目の前の香とのギャップに苦笑しながら。
両親を亡くした後、男手ひとつで育ててきた妹の眩しい変化の度合いを見せられて。
嬉しいやら悲しいやら……と、ちょっぴり切ない思いが胸をよぎる。



「お前もいつまでも子供じゃないんだから、身体に傷を作るようなマネは慎めよ?
でないと、ボーイフレンドの一人も出来やしないぞ?」

「はぁ~い……。でも私、ボーイフレンドなんか、いらないもん。
男子なんて悪戯ばっかりして、まるでガキよ、ガキ!!

あんな頼りないヤツらなんか、こっちから願い下げだわっ!!」



身体は大人でも、心の中はまだまだ子供のままのようで。
それでもいつか、お前も一人の一人前の女性になって。
恋をして愛を知り、自分でコレと決めた一人の男のもとにと嫁いで行くのだろう。
その時俺は、お前を笑顔で送り出してやれるのだろうか……。
今はどうにもこうにも、その自信が無さそうで。
……あまり早く大人になるなよ……
と、まるで娘を嫁がせる父親の心境のような自分に、苦い笑みをこぼした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「いったぁぁぁ~いっっっ!!!」
「どうした、香っ!!」
「きゃぁ~っ//////リョウのバカッ!!エッチッ!!」
「いってぇ~……何なんだよ、人がせっかく心配して来てやったのに……」
ブツブツと文句を言いながら、風呂桶が見事にヒットした頭を擦りながらリビングのソファで香を待つ。
風呂から出た香の、その手首に走る赤いみみずばれを見て、ようやく納得した。



「食器棚の裏に、買い物メモが飛んでっちゃってね。
ちょっとしたトコだからって手を伸ばしたら……こうなっちゃったの」

強がる香を無理にソファに座らせ、化膿しないようにと消毒してやる。
「買い物メモだぁ~?ンなもんで、こんなみみずばれなんか作るなよな。
お前、ただでさえ色が白いんだから、こんな赤いみみずばれ作ったら、目立ってでしょうが無いだろ」



白く細い手首にスッと走る赤いみみずばれに、消毒液を浸したガーゼを押し当てる。
「………っっっ!!!」
「ホレ見ろ、強がってんじゃねーよ。お前だって一応、女なんだからさ。
身体に傷なんか作るんじゃねぇよ」

「それ………」
「……んぁ?」
「そのセリフ……昔、アニキにも言われた……」
「槇ちゃんに?何だお前、それからちっとも成長して無いってコトかよ。……ったく、バカか、お前は」
「……あぁ~もう、うるさいっ!!もういいわよ、ありがと。おやすみっ!!」
分が悪くなったのか、ズカズカと歩いてバタン!!と勢いよく扉を閉めて。
リビングから出て行っちまいやがった。
おいおい……人に消毒させておいて、礼の一つもまともに言えんのか、お前は。
図星をつかれた悔しそうな顔が、妙に子供っぽかったのにくすりと笑みがこぼれる。



苦笑まぎれのため息をこぼしつつ、アイツも同じコトを言ったのか……
と、かつての相棒たる亡き親友へと思いを馳せる。

香を守る……そう、約束したが。
あのみみずばれは、約束の範囲外だからな?
あれはお前の跳ねっ返りの妹が、一人で勝手にこしらえたもんだからな?
だからお前……。



「……化けて出て来んなよ……?」
救急箱を片付けながら肩をすくめて。
その辺で苦笑いをこぼしているであろう槇村へ、同情めいた笑みを浮かべて。
どこか言い訳じみたセリフを呟いた。




END    2006.2.20