●むらさきの……●




「こんにちはぁ~。リョウ、いるぅ~?」

甘さを含んだ艶やかな声とともに、勝手知ったる我が家も同然と、案内も請わず。
リビングに冴子さんがやって来た。
「こんにちは、冴子さん。リョウならそろそろ起きてくる頃よ?」
「まだ寝てるの?も、とうにお昼を過ぎてるってのに……あら?」
大きく肩でため息をつき、呆れながら揺れる前髪をかきあげたと同時に、その魅力的な瞳をぱちくりと見開いて。
続いて柳眉をしかめ、きれいにグロスに濡れた唇をゆっくりと開いた。
「あんた……何でこんなトコロにいるの……?」



「へへへ~……いらっしゃい、冴子お姉ちゃん♪」
にこりと笑って手を振る唯香ちゃんに、冴子さんはさっきよりも大きなため息をついた。
「怒らないで?冴子さん。ウチでよかったらどうぞ……って唯香ちゃんに言ったの、私なんです」
「香さん……?」
リビングのテーブルに広げられた参考書を前に、家では双子が邪魔して試験勉強に集中できないとこぼした唯香ちゃんに、
勉強場所を提供したのだと説明した。
「そりゃぁ確かに、ちびたちはうるさいけど……あんたの妹でしょ」
「そんなぁ~……。冴子お姉ちゃんも麗香お姉ちゃんも家を出ちゃって、あいつらの遊び相手なんて、したコトないじゃないっ!!」
ぷぅとふくれる唯香ちゃんに、今度は珍しく冴子さんの方が分が悪そう。
唯香ちゃんの言葉が的を得ているだけに、どうやら強くは言えなさそうで。
「ん~……」と腕を組み、しばし、黙り込んでしまった。



「ちょうど休憩しようって、言ってたトコなんです。よかったら冴子さんもコーヒー、いかがですか?」
「ありがとう、香さん……いただくわ」
渡りに船とばかりに、ほっとした笑顔。
いつもキリリとした仕事モードの冴子さんしか見たことなかったから、
普通に姉妹喧嘩する素の表情が、何だかとても新鮮だった。



キッチンで冴子さんと私の分のコーヒーと、唯香ちゃんにはミルクたっぷりのカフェオレを淹れてリビングに戻ってみれば、
ようやく起きてきたリョウを相手に、もう、仕事の顔をした冴子さんがそこにいた。
「悪ぃ、香。俺もコーヒー」
切羽詰った話なのか、「ご飯が先でしょ」などと言えるような雰囲気じゃぁなくて。
ちらとこちらに視線をよこしたのもつかの間、すぐに冴子さんと話し始める。
第三者などよせつけない……そんな二人に一抹の寂しさを覚えながらも、こくんとうなずいてリビングを後にした。



リョウの好みに合わせた濃い目のブラックに、起き抜けの空きっ腹だからと、ひとつまみのお砂糖を加えたら。
リョウは一口飲んだだけでそれに気がついたようで。
「……サンキュ」と、口元を緩めてくれた。
そのクセ、視線はすぐに冴子さんの持ってきた書類へと戻っていき。
その上で走らせる二人の指が、つと触れ合ったりするのを見て……
こんな時なのに、思わず胸がちくりと痛む。
折りしも、唯香ちゃんが広げていたのは、古典の教科書。
その見開いたページの短歌に、思わず目が吸い寄せられてしまった。



むらさきの にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも



体育以外の勉強は、あまり得意じゃぁなかったけど。
万葉集を代表とするこの歌は、絵梨子が「ドラマチックよね~」と、始終口ずさんでたから、覚えてる。
二人の皇子に愛された女性・額田王。
彼女が別の男のものになった後、その男の妻といわれるようになってもまだ、愛してやまない……そんな内容だったっけ。
紫の……ってのは、当時、気高く高貴な位を表す色だったとも、美しい色だったとも。

また、その染料のもととなる、可憐な紫草のようなはかなさを表しているのだとも、言われてるとか。



今、偶然にも、その歌の内容が、目の前に立つリョウと冴子さんに重なった。
一度は冴子さんを愛したリョウ。
リョウとアニキの間で、アニキを選んだ冴子さん。
アニキは亡くなってしまったけど、それでもまだアニキに心を寄せてくれる冴子さんは……同じ女の目から見ても、とても素敵。
そんな風にアニキを想ってくれてる冴子さんは、まるで人妻。
その人妻たる冴子さんに、もし……もしまだ、リョウが惹かれていたとしたら……?
心に強く想う男性(アニキ)がいるからこそ、よりいっそう輝いてるであろう冴子さん。
女の私でさえ、うっとりしてしまうんだもの。
リョウが心を動かされないハズはない。
もしかして、仕事と称して出掛けてくのも、こっそり二人で会う口実だったり……?



思いはぐるぐると渦巻いて、ふぅと重たいため息をつけば。
「……香さん?どうかした?」
と、唯香ちゃんに訝しがられてしまった。
「……ううん?何でもないわ」
つとめて笑みを浮かべようとするものの、それはどこかぎこちなくなってしまう。
あぁ、こんな時に演技ひとつ出来ない自分が恨めしいわ……。



「どうかしたの?香さん」

リョウと話がついたのか、冴子さんがひょっこり顔をのぞかせる。
「えっ……?い、いえ、何も……」
小首を傾げた冴子さんの視線が、ふと、広げられたままの教科書に落とされて。
何も後ろめたい気持ちがあるわけじゃぁないのに、慌ててぱたんとページを閉じた。
だけど、眼光鋭い敏腕刑事な冴子さんだけに、そこに記されてた歌を、瞬時に読み取ってしまったらしい。
そしてそこから考えをめぐらせて、私の重苦しいため息の理由を察した冴子さんが、ふっと笑った。



「……唯香、仕度しなさい。帰るわよ」
「え~っ?!だって家じゃ、勉強が……」
「出張中だったお父様が、今日、帰ってらっしゃるのよ。
あんたが家にいないでヨソに泊まり歩いてる、なんて知ったら……どうなるかしらねぇ~?」
意地悪く笑う冴子さんに、唯香ちゃんは「ひ……っっっ!!!」と、瞬時に青ざめて。
慌てて参考書やらノートやら、テーブルに広げた諸々を、片っ端からカバンに押し込めていった。



「そーゆーワケで、唯香は連れて帰るから……香さん?あとはリョウと二人、仲良く……ね?」

ぽかんと見つめる私に、冴子さんは悠然とした笑みをよこした。
「……っっっ////」
考えのすべてを見透かされたようで、言葉もなく、私はただ、頬を赤く染めるだけ。
やだ、もう……恥ずかしいっ!!
「じゃぁねぇ~?お邪魔さまぁ~♪」
そう言うと唯香ちゃんの首根っこを掴んだ冴子さんは、ウインクひとつよこしてリビングを出て行った。



「……んぁ~?何だ。あいつら、帰ったのか」

シャワーを浴びたリョウが、髪から滴る雫をタオルで抑えながら、リビングに戻って来た。
ふいに姿を消した姉妹に、「相変わらず忙しいヤツら……」と、ため息をつくリョウに苦笑する。
リョウに限って……リョウに限って、だよね。
親友(アニキ)を裏切るなんて、そんなバカなコト、しないよね……。
自分の浅はかな思いに、苦い笑みをこぼしながら。
「リョウ?いいかげん、ご飯、食べちゃってよね?」
と、それまでの思いを振り切るように、元気よく声をかけた。




END   2011.6.27