●My way●



「……たぁらいまぁ~」

「……あれ、リョウ?どうしたの?こんな時間に……」
ガチャリとリビングの扉を開ければ、それまでコーヒーを片手にテレビに齧りついていた香が、
目を真ん丸にした驚き顔で振り返った。
確かにいつもならナンパにいそしんでる時間だが……何も、そんなに驚かなくったっていいだろう。



「……んだよ。帰って来ちゃ悪ぃのかよ」
「そういうワケじゃないけど、珍しいじゃない?
人があれだけモノを頼んどいたのに、サッサと出掛けて。
挙げ句に、こんな時間に帰ってくるなんて……あ、さてはナンパに失敗した?」
「ンなワケねーだろ、この俺がっ!!みんな年の瀬だからって、忙しなく歩きやがるし。
このところ急に寒さが戻ったから、ナンパになんねぇーんだよっ」
「へぇぇぇ~………?」
「ンだよ、その顔はっ!!ウソじゃねぇっつーのっ!!
オマケに雨まで降って来やがったから……忌々しいから、今日は早仕舞いだっ!!」
「あ……降って来た?さっき洗濯物、取り込んだところなのよね。あーよかった」



ホッとした顔で窓の外を見やる香の横にドッカと座り、それまでつまんでいたらしいせんべいを失敬した。
年の瀬も押し詰まり、風呂の掃除だの窓ガラス磨きだの、
何かと用事を言いつける香を振り切って、颯爽と街へと繰り出したのだが。
そこはやはり……世間様も、皆同じで。
街を行く人、みな、何かに背を押されたように忙しなく蠢くさまに、ナンパをする気も起きやしない。
……つーか……ホントは香を怒らせて、そのやり取りを楽しみたかっただけなんだけどな。
そんな俺の目論見すら、年越し準備で忙しい香には、
何ら太刀打ち出来やしなかったワケだが……ったっく、情けねぇ。



パリパリと歯応えのいいせんべいを噛み砕きながらテレビを見れば、
ちょうど午後のワイドショーの、人生相談のコーナー。
コーヒーの入ったカップを手にせんべいを齧る香は、熱心にそれに見入っていた。



「……何、お前。俺にあちこちの掃除だの片付けだのを頼んどいて、
自分は暢気に、こんなん見てるワケ?」
「んー?バカ言わないで。アンタが出てった後、一仕事も二仕事も終えて、やっと一息ついてるトコよ。
それに……この手の番組、結構面白いわよ?いろんな人が、いろんな悩みを抱えてるんだなー……って」
「ンな人の悩みなんか聞いたって、どうにもなんねぇだろーが」



「んー……そうね。時にくだらない相談もあるけど、悩みって、人それぞれじゃない?

すごーく重たい悩みもあれば、あぁ、こんな小さなことで悩んでる人もいるんだー……って、ね」
「はぁ……そういうモンか?」
「……そういうモン、よ。ほら……私って、ロクに社会のことも知らずにこの世界に入ったじゃない?
世の中には、色んなコトで悩んでる人がいるんだなー……って。まぁ、社会勉強みたいなモンよ」



高校を卒業して、ロクに社会のことも知らずに……か。
……そう、槇村が生きていれば……俺と出会わなければ。
大学に行って、OLになって、どこかの男と結婚して。
そして今頃は子供の一人や二人いる、平凡で幸せな。
こんなワイドショーに嫁姑問題を相談するような、そんな普通の家庭の主婦だったかもしれない。
俺はお前から、普通の女として幸せになる権利を奪っちまったのかもしれないな……。



香が強く言い出さないのをいいコトに、ずっと手元に置いたままの宙ぶらりんな関係。
手放すことも出来無いクセに、自分のものにする勇気も無い、曖昧なままの二人。
そんな意気地のない俺を、香はどう思っているのだろう……。
せんべいを齧りながらも真剣なまなざしで画面に見入る香の横で、
いつしか一人、暗い思考の渦の中を旅していた。



折しも画面から流れてくる今日の相談は、飲んだくれて仕事をしない夫を持つ妻の悩み。
うっわ、何かと耳の痛い話だぜ。
定職に就かず、借金を重ね、酒と女とに甘い男。
いくら小言を言っても、聞き入れてはくれない男。
そんな夫への不満を切々と語る妻の口調に、
番組の司会者もコメンテーターも、そして香も、うんうんと神妙な顔で頷いている。



「……ンな男となんか、さっさと別れちまえばいいのにな」
ポツリと言った俺のセリフに、アンタが言う?といった目を、香が向ける。
「ンな男となんか、サッサと別れりゃいいんだよ。んで、新しく、俺みたいなイイ男を見つけんの♪」
「まったく、アンタって男は………」
はぁ~……と深いため息をこぼして、俺をにらみつけて。
香はまた、画面に目を戻した。



しかし案の定、コメンテーターの一同が口を揃えて「別れろ」と言う中で、当の相談者たる妻は言った。
それでも……それでも夫を、愛してるんです……別れたくないんです…



「……この奥さん、すっげぇ態度悪くねぇ?ココまで相談持ち掛けておいて、別れたくねぇだってさ。
見ろよ。コメンテーターのヤツら、みんな呆れてんじゃん」
「確かに……そこまでの覚悟があるのに、何だってわざわざテレビの相談コーナーなんかに応募するかなぁ……」



テレビに向ってブツブツと文句を言い合う俺たちをヨソに、番組の司会者がふぅと大きく息をつき。
どう転ぼうと、自分の人生は自分で決めなくてはいけない。
これからもその男と共に生きたいのなら……愛しているのなら。
その男をヤル気にさせるなり、自分が内助の功となるなりしなければならない。
すべては自分の人生、後悔しないようにしなければ……。
司会者はそう言葉を結んで、未だ感情に揺らぎのある相談者を言い含める。
そしてしっかりとした重々しい口調で言い渡した司会者に、「……はい……」と。
相談者である妻は弱々しいながらも、ハッキリとした言葉でその決意を表した。



コーナーの終了と共に番組も終わり、軽やかなエンディングテーマが流れてフェイドアウト。
年越し、そしてあと数日でやって来る新年を意識したのか、やたらとにぎやかなCMが流れ出す。
そんな仰々しいそれを合図に、香はカップを持って立ち上がった。



「どうなることかと思ったけど……やっぱり司会者だけあって、いいコト言って、上手くまとめたわよね」
「………んぁ?」
「ほら……自分の人生なんだから、後悔しないように……って」
「あぁ……でもそんなの、当たり前のコトだろ?」
自分の人生、どう転んだって、自分でどうにかしなきゃいけない。
そう……そうしなきゃあのジャングルの中、俺は生きてこれなかった……。
瞬時、昔に思いをはせていた俺をヨソに、カップを手にした香が、
リビングの扉の前で立ち止まり、振り返ってくすりと笑った。



「そうね。でも……でも、その当たり前のことがわからなくなって。
誰かに聞いて欲しい……助けとなるひとことが欲しい。
そんな風に思ったから……だからこうして、相談に来たんじゃない?
どうしたらいいか、何もかもわからなくなる……そういう時って、あるじゃない」
「……へぇ~……そういうモンか」
生憎と俺には、ンなモンは無かったがな……。



「そりゃぁ、リョウみたいに何ごとにも立ち向かってくタイプには、そんなコト、なかっただろうケド。
でも……女性にはそういう時って、結構あるのよ。
でもその後になって、ちゃぁ~んと自分で“コレ”だという道をキチンと決めるのよね。
ふふ……女は強いわ♪」
「何だよ、今さっき、“女は弱い”、みたいに言ってたくせに。結局、どっちなんだぁ?」



じゃぁ……じゃぁお前は、どうなんだよ。
お前は俺と……俺と一緒に生きていくことを。
この道を選んだことを……後悔してないのか?迷いはしなかったのか?
槇村が死んで、どうにも行く当てが無くて。
それで仕方なく、俺と一緒に居続けたのか?
それとも……それとも………?



口ではブツブツと言いながらも、目の前のくすくすと笑う香に、思わずそう問い掛けたくなる。
そんな俺にちらと視線をよこした香が、俺の心を読んだかのように、ふっと笑って。
そして煩いばかりのCMが流れるテレビに視線を戻した。



「でも、私……あの奥さんは、ご主人と別れない……って、思ってたわ」
「………んぁ?何で」
「だって……言葉の端々に、ご主人への愛情が見え隠れしてたもの。
どうしようもないご主人でも、彼女にとってはただ一人の、愛する人なのよ」
「……へぇ~……ンなコト、お前にわかるのか」



ちょっぴり小バカにしたようなそのセリフに、ふふっと笑いながら。
香はちょっぴり頬を赤く染めて、扉の向こうに半身を寄せる。
「そうね………経験者談、って、トコかな?
ほら……手のかかる子ほどかわいい……って、言うじゃない……?」
聞えないくらい小さな笑みを含んだ声で、そう言い残して。
そのくせ、その目元口元に、幸せそうな笑みを浮かべて……キッチンへと消えて行った。



パタパタと遠ざかるスリッパの音を耳にしながら、香の残した、はにかんだような笑みを思い浮かべる。
香の“答え”の真相を、恐れおののいていた俺に。
こちらの悶々とした悩みなどお見通し……と、いとも簡単に返事をくれやがった。
まったく……いつの間に、俺の考えを読むなんてマネを覚えたんだ?
しかし、“手のかかる子”ってぇのは、何なんだよ。
俺はそこらにいるガキと同じかってぇーのっ!!

まぁ……香の手の上、転がされてるってぇ感が強いのも、否定は出来んが……な。(苦笑)



天性の勘の良さか、それとも女の第六感と言うやつか。
そんな香の成長に苦笑しつつ、その残した言葉を反芻する。



槇村の死……その不幸な種は、俺が蒔いたものかもしれない。
しかしそんな不幸な出来事きっかけにしても、俺と香は出会い、共に暮らし。
そしていつしか、互いを唯一無二の存在と……離れられない相手だと、それぞれ思うようになってしまった。
そして今、香はこの現状を……俺という存在を。
この俺と共に生きて行くというその道を……彼女自身で選び取ったと、そう言ってくれた。
そのひとことが……俺の心に、どうしようもなくやさしく染み渡っていく。



「経験者談……ね。……ったく、どうしたんだ?
恥ずかしがり屋のアイツにしては、えらく大胆な告白じゃねーか」
赤く染まった頬を、その輝くような笑みを思い出して、こちらの口元も知らず、ほころんでいく。
人一倍恥ずかしがり屋の香からの、その心からの、素直な想い。
ンなモン聞かされた日にゃぁ、こちらもそろそろ、男としての覚悟を決めなきゃいけないようだ。



「ねぇ、リョウー?お節料理の準備するから、いいかげん、ちょっとくらいは手伝ってよ!!」
そんな俺の戸惑いも知らず、暢気に俺を呼ぶ声に、くすりと笑って。
年が明けたら……新しい年を迎えたら。
この宙ぶらりんな二人の関係に、少しは変化を出さねばならないか……と。

いいかげん、ここらが正念場か……と。
その口元に、敗北者特有の苦い笑みをこぼした。




END    2008.1.7