●ORANGE CAKE●



「あー………っ!!」

コーヒーを飲みながら新聞を読んでいた香が、突拍子も無い声を上げた。
「……ンだぁ?」
「……んっ?なっなっ……何でもないっ!!」
読みかけの新聞を慌てて閉じて、残りのコーヒーを飲み干して。
キッチンに向うその頬は、ほんのりと赤みを帯びていて。
それで何でもないってのは……そりゃぁ下手な言い訳ってモンだろう。



香の読みかけていた新聞を引き寄せて、パラパラと捲っていく。
日頃、大切な情報源のひとつである新聞は隅から隅までくまなく読むが、
いつしか家庭欄だけは、読み飛ばしていくクセがついていた。
○○が肩こりに効くのだの、××が風邪予防にいいんだってだのと。
香がその重要事項だけを要領よく掻い摘んで話してくれるので、俺がわざわざ目を通す必要が無かったからだ。
だから久々に目を通したそこに、オレンジ・デイの記事を見つけて。
あぁ、香のあの不可思議な言動はコレか……と、納得した。



病み上がりの香に見舞いと称してオレンジをやったのは、去年のコト。
そういえばお節介なミックに吹き込まれた香が、何やら必死に、オレンジの山の意味を知りたがってたっけ。
まったく……あの金髪ヤローは、いつもロクなことしやしねぇ。
そしていつしか、香もオレンジのことなど忘れていたようだったが……この記事であの日のことを思い出し。
オレンジの意味するところを知った……ってトコか。



ちょっとしたイベントとはいえ、互いに想い合う恋人同士のそれ……などというその意味を知って。
はてさて、あの香がどう出てくるか……それは見てのお楽しみ……ってか?
先ほどの香の、朱に染まった頬を思い出してくすりと笑って。
「お~い、ちょっと出て来るぞ?」と、キッチンの香に言い残して玄関を出た。



                ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「あー………っ!!」
「……ンだぁ?」
「……んっ?なっなっ……何でもないっ!!」
読みかけの新聞を慌てて閉じて、残りのコーヒーを飲み干して。
いぶかしむリョウの視線にひきつった笑みを返しながら、そそくさとキッチンに向った。



4月14日、今日はオレンジ・デイ。
欧米ではこの日、バレンタインにチョコを贈り、ホワイトデイにお返しをして両想いになった二人が、
互いにオレンジ色のものを身に付ける…という習慣があります。
また、花嫁は髪にオレンジの花を飾ったりもします。
オレンジはそれほど、結婚を意味するに相応しいものになっており、
この習慣は最近、日本でも広まりつつ……



新聞の家庭欄に書かれていた、ミニコラム。
それに目を通した瞬間、風邪を引いた私に、リョウがオレンジをくれた去年のことを思い出した。
そう……あれは確か、4月半ばの頃だった。
そしてちょうど訪ねて来たミックが、リョウにオレンジの意味を聞けと言ってなかったっけ?
……えっ?じゃ、じゃぁあれって、ひょっとしてひょっとして、この、オレンジ・デイの意味だったのっっっ?!
その瞬間、思わず「あー……っ!!」と、声を上げてしまった。



パタパタとキッチンに逃げて来たけど、胸のドキドキが治まらない。
あまりに驚いて、記事をよく覚えてないんだけど……
オレンジが、結婚を意味するとかなんとか、書かれてなかったっけ?




けっ、けっ、結婚……って、アノ、結婚、よね?!
他に結婚なんて、意味するものは……無いし……。
えーっ?!ちょっ、ちょっ、ちょっと待って?
じゃぁリョウって、そっ、そっ、そーゆー意味で、あのオレンジをわっ、わっ、私、に……っ?!



ボンッッッ!!!



今までに無く顔が赤くなり、頭の上からは湯気がもうもうと出てきてしまった。
だってだって、あのリョウが、そんなコトーっっっ?!
意味も無くワケも無く、まるで迷子の熊にでもなったようにキッチンの中をウロウロと。
そして水道の蛇口を勢いよく回し、滝のように流れ出る水を、火照った頬にバシャバシャとかけた。
その背後で、「お~い、ちょっと出て来るぞ?」というリョウの声がしたけれど、
慌てふためいて返す言葉も無いままに、玄関の扉が音をたてて閉じた。



あの時のオレンジが、そういう意味を持っていたなんて…。
あの時ミックが、意味ありげな言葉を残してたのは……あれはこういう意味だったんだ……。
一年も前のことなのに、まるで昨日のことのように思い出されるのは、
甘く爽やかなオレンジの香りと、ヘンにぶっきらぼうだったリョウの表情(かお)。
その意味するところを知って、冷ましたはずの頬がまた熱を持つ。



「お返ししなきゃ……よね?」
オレンジ・デイに、お返しなんてモノがあるのかどうかはわからないけれど。
でもあのリョウがそういう想いをカタチに表してくれたのなら……私もそれに応えたかった…伝えたかった。



折しも冷蔵庫の中には、昨日スーパーの特売で買ったオレンジの山。
甘く爽やかな香りが、一年前のあの日を呼び覚ます。
そうだ……これでケーキを作ろう。
甘いものが苦手なリョウでも大丈夫な、爽やかな甘さのオレンジケーキ。
これなら私の気持ち……リョウへの想い、伝わるよね……?



戸籍も無いリョウだけど。
結婚なんて形にとらわれる男じゃないけれど。
それでもリョウが、私のことをそう想ってくれていた……それだけで、心がほんのりと温かみを増す。



カタチなんてどうでもいいから。
だから、二人の思いは一緒だと言う証に……このケーキを贈ろう。
返事が遅れちゃったけど、私も同じ気持ちです…って。
その時リョウは、どう思うかな。
何のことだって、いぶかしむ?
それとも甘いものは苦手だって、うへぇって顔する?
ううん、多分きっと、私のことなんて何でもお見通し。
だからきっと、あの太い眉を意地悪そうに上げて、その口元を楽しそうに歪めて。
そして私の大好きな優しい瞳で、微笑んでくれる……そんな気がする……。



その表情(かお)を思い浮かべて、くすくすと笑みが浮かんで。
そうと決まったからにはと、早速腕まくりをして材料を揃えた。
厚く鮮やかなオレンジ色の皮に包丁を入れた瞬間、爽やかで甘酸っぱい匂いが、無数の飛沫となって飛び散った。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



何とはなしに街中を彷徨い、いつものとおりにナンパをして時間を潰すものの。
心ココにあらずでは、靡く女もそういるはずは無くて。
仕方ないか…と、適当にぶらつきながらアパートへ戻る。
その道筋のとある店先で、ふと、“あるモノ“に目が止まって……いくばくかの小銭を払い、そして“それ”を買った。



アパートへ戻れば、香はキッチンで夕食の支度の真っ最中。
どうやら今日は、カレーらしい。
さまざまなスパイスを効かせた香特製のカレーの匂いが、玄関にまで漂ってきた。
そしてその中に、カレーとは違う何かの匂いを嗅ぎ取って。
それが何なのかを察知して……知らず、頬が緩んだ。



「ただいまぁ~」
「あ、リョウ、おかえりなさい。夕食、もう少しだから待ってて?」
振り向きもせずに返事をするものの、その背中に走る小さな緊張が見て取れた。
「あぁ、んじゃ、部屋で寝てるから。出来たら声、掛けてくれ」
「……ん、わかった」



一度たりとも振り返らぬ香の背後のテーブルに、音を立てないようにそっと“それ”を置いて、キッチンを後にした。
花屋の店先で、色鮮やかに咲いていたオレンジ色の小さな花。
その明るく鮮やかな色とは反対に、小さく可憐な様が、まるで誰かさんのようで目に止まったものだ。



緊張でガチガチの香が振り返り、その花を目にするのはいつのことか。
そしてその時……あの大きな目をことさら大きく開けて、きれいな涙で潤ませて。
そして幸せそうに、輝くばかりの笑みを浮かべるのだろう。
その表情(かお)を見てみたいと思いつつ、面と向って掛けてやる言葉が見つからなくて。
そのまま自室のベッドに、身を投げた。



カレーの匂いに紛れた、オレンジとベーキングパウダーの匂い。
冷蔵庫に転がってたオレンジとに思いを巡らせれば、その結果は明白だった。
「特製カレーのデザートは、コーヒーとケーキかよ。…ったく……また太っちまうじゃねーか」
そんな嫌味しか思いつかない自分に苦笑して。
夕食の支度が出来たと声の掛かるまでのしばしの間、その瞬間を思い浮かべながら、ゆっくりと瞳を閉じた。




END    2006.4.14