●御伽噺のその後は●



「冴羽さーん。絵本、読んで?」

「へーへー………」



夕食を終え、リビングでコーヒー片手に一服つけていたところへ。
大事そうに絵本を抱えたあゆみがやって来た。
あゆみは、ひょんなことから請けるコトになった、今回の依頼人の一人娘。
早くに母親を亡くしたせいか、父親にべったりで。
毎晩、父親に絵本を読んでもらうのが日課なんだと。
その父親が仕事で留守の間、俺がその代役をしたところ、何だかえらく気に入られちまって。
それ以来、あゆみは俺にべったりというトコロ。
まったく……俺はガキは大っ嫌いだってーのっっっ!!!



「むかーしむかし、ある海の中に大きなお城がありまして。そこには美しい人魚のお姫さまが住んでいました」
ブツブツと文句を言ったところで、あゆみが俺を気に入っちまったコトに、変わりは無くて。
膝の上にちょこんと腰を下ろし、俺の胸に背を預けて楽しそうに絵本に見入っている。
……と、自分のコーヒーを手に、香がリビングにやって来た。



初めこそ、この面白いツーショットに腹を抱えて笑い転げていた香だったが、
いつのまにやら傍に座り、あゆみと一緒になって絵本に聞き入り。

そして俺とあゆみとを、微笑ましく見つめるようになっていた。
そのぉ……何つーか、さ。
このシチュエイションて、夫婦と愛娘の語らい……っぽくねぇ?
……と、そんなコトを考え出したら、妙に照れくさくなって。
やわらかな笑みを向けてくる香から視線を外して、再び絵本に集中した。



本日の演目は、人魚姫。
海に住む人魚のお姫さんが、嵐で難破した船から救い出した王子に恋をして。
自分の声と引き換えに、魔女から人間の足を貰って惚れた男に会いに行くという話だ。
結局、王子は自分を助けた人魚が彼女だと気づかずに、隣国のお姫さんとめでたくご結婚。
それを悲しんだ人魚姫は海に帰り、儚い泡となって消えてしまった……という悲恋ものだ。
子供向けの絵本にしちゃ、えらく淋しい結末だよな。



もう何遍も読んでやってるのに、あゆみは話を読み進めていく度に、ハラハラドキドキするようで。
息を呑んだり、俺の袖をギュッと握り締めたりする。
一方の香も、何だか妙に深刻に聞き入っていて。
その子供のような表情に、くすりと笑みがこぼれた。



「……で、人魚姫は海の泡となってしまいましたとさ、おしまい」
「ねぇ………冴羽さん?」
「………んぁ?」
「ねぇ……どうして人魚姫と王子さまは、仲良くならなかったの?
どうして王子さまは、人魚姫に好きって言ってあげなかったの?」

「………あゆみちゃん……」



あまりに突飛も無いセリフに、俺も香も、何とも言いようが無くて。
「ねぇ……どうして?」と問い掛ける真っ直ぐな瞳(め)に、どう答えたものかと、しばし考える。
「………んーそうだなぁ………それはきっと……」
「……………?」
「それはきっと、王子がバカだったのさ。人魚姫が誰より大好きなくせに、照れくさくて好きだって言えなくて。
それで照れ隠しに、他のお姫さまと仲良くしちゃったりしてさ」
「…………リョウ……」
戸惑いの視線をよこす香に、ふ……と苦い笑みを返す。



「でもぉ……これじゃぁ人魚姫がかわいそう……」
小さな唇を尖らせ、子供ながらも眉間に皺を寄せて、切なげな表情をするあゆみ。
まぁ、めでたしめでたしで終わる物語ばかりの中に、コイツは少し、毛色が違うからな。
ガキにはまだ、理解できんだろうな……などと苦笑していたところへ、
香が微笑みながら、あゆみの髪を優しく梳いた。




「……そんなコト無いよ、あゆみちゃん」
「……………?」
「そんなコト無いわよ、あゆみちゃん。人魚姫はね?
王子さまが大好きだったから……とぉーっても大好きだったから。

だからたとえ短い間だったとしても、傍にいられただけで……それだけで、十分、幸せだったのよ」
頬をほんのりと赤く染め、それでいて、何物にも動じないという、意志の強い真っ直ぐな目をあゆみに向けた。



「………香………」
「………そうな……の?」
誰かさんに似た大きな瞳をパチクリとさせて問いかけるあゆみに、香が柔らかな笑みを返して言葉を続けた。
「そう……きっとそうよ。今は難しいかもしれないけど、あゆみちゃんがもう少し大人になったら……
そしたらきっと、わかる時が来るわ」

「ふー………ん?」
イマイチよくわからない……という顔で、小首を傾げるあゆみ。
俺の視線に気づいた香が、恥ずかしそうに笑った。



そうなのか……?
お前も御伽噺の人魚姫のように、たとえ言葉を……想いを通わせることが出来なくても。
ただ傍にいるだけで……それだけで、幸せなのか……?
そのあまりに欲の無い性格に苦笑しつつ、コイツにそうさせてるのは誰あろう俺自身か
……と、胸の奥がチクリと痛んだ。




「ねぇねぇ。じゃぁ、あゆみがもっともっと大人になって、人魚姫みたいになったら……そしたら、わかる?」
絵本の中の、透き通るような白い肌に流れる金髪。
海と同じく深い青色の瞳をした人魚姫を指差して、あゆみは喜々とした瞳を向ける。

「んー………そ、そうねぇ………」
「ばーか。お前は日本人なんだから、どうしたって金髪と青い目にはなれねーの。
まぁ唯一なれるとしたら、このもっこりバストくらいだろ」
そう言って、ツツ……と絵本の中の人魚姫のボディラインを撫ぜる指を、香がペシン!!と叩いた。
「ば…っ!!何、子供の前でそんなコト言ってるのよっ!!////」
「嘘じゃないんだから、いいだろーが」
「そういう問題じゃぁ無いでしょっ?!/////」



喧々轟々の俺たちの会話が理解できないとばかりに、あゆみはじっと絵本を見つめて呟く。
「私、人魚姫がダメなら、オーロラ姫でもいいんだけどなー」
「……オーロラ姫って、あれだろ?眠り姫。あれもクルンクルンの金髪巻き毛じゃん。だめだめっ!!」
「…リョウ!!アンタってば、またそんな…っ!!」
「えぇ~?オーロラ姫もダメなのぉ?んーそうなのぉ……」
しゅんとするあゆみを横目に、香が“ほら…アンタがあんなこと言うからっ!!”というオーラを放ってよこす。
「ンな、ヘンに期待を持たせちゃいかんのだよ、香くん。子供には正しいことをキチンと教えんと、だなぁ…」
ソファにふんぞり返り、“フンッ!!“とふてくされる俺に、香は今にも噛み付きそうな視線をよこした。



「だっ…大丈夫よ、あゆみちゃん。あゆみちゃんは可愛いから、
人魚姫よりもオーロラ姫よりも、きっと素敵な女の子に慣れるわよ」

「………そ、そっかなぁ」
「うん、大丈夫。私が保証するわっ!!」
“まかせてっ!!”とばかりに、ドンと胸を叩く香。
おいおい……それってどんな保証だよ……



「うん……ありがとう、香お姉ちゃん。でも香お姉ちゃんも、オーロラ姫にはなれないよね」
「……?えっと……はは。確かに私は美人でも何でもないけど……どうしてかな?」
あゆみの言葉にいぶかしみつつも、どうしてなれないのかと問い掛けずにはいられない香。
口元を軽くひきつらせながら問い掛ける姿に苦笑すれば、香は“何よっ!!”という目でにらんだ。



「だって……オーロラ姫は、王子さまのキスで目を覚ますんでしょ?」
「……へっ?あ、あぁ……そうね」
「それじゃぁやっぱり、香お姉ちゃんはダメよ。だって起きなかったもん」
「………?」



その意味するところがわからなくて、香は目が点になる。

一方の思い当たるところのある俺は、“……げっっっ!!!”と、嫌な汗が流れた。
「あのね?さっきお昼寝してた香お姉ちゃんに、冴羽さんがちゅーしたの。
でも香お姉ちゃん、気持ちよさそうに寝てて起きなかったの」




その動きを止める間も無く、あゆみの口は滑らかに動き、見たまま全てを口にする。
そしてようやくその言葉の意味するところを理解した香は、瞬時に茹でダコ状態になって、頭から湯気を出して。
苦笑するしかなかった俺とチラと視線があったとたん、ザザザッと後ずさりして、ソファから転げ落ちて。
「……っっっ/////わっ、私、お風呂の様子見て来るわねっっっ/////」
と、カップを手に、逃げるようにリビングを後にした。
それと共に廊下から響くのは、香が廊下で転んだらしい音と、カップを床に落として割る音と。
そして体当たりして蝶番でも壊したのか、扉が床に倒れる大きな音とが響き渡った。



後に残されたのは……ガラにも無くちょっぴり頬を染めた俺と、その膝の上で、ワケがわからずキョトンとするあゆみ。
「香お姉ちゃん、顔、真っ赤っか」
「……誰のせいだよ、誰の。いいか?今度そういうトコロに出くわしても、見て見ぬフリしろよ?
それがお前のため……いや、大人の処世術ってモンだ」

「……しょせいじゅつぅ?」
わかんない……と小首を傾げるあゆみに、頭をコツンと叩く。
「いいから……あまり見たままを喋るなってコト」
「はぁ~いっv」



理解したとは言い難いあゆみを膝から下ろして、その背をポンと押す。
「ほら……さっさと風呂入って、寝ろ」
「うんっ♪」
大事そうに人魚姫の絵本を抱えて、スキップするかのようにリビングを後にするあゆみの背を見送った。
「御伽噺は、めでたしめでたし、だが……俺たちがそれで括られるのは、いつのことやら……だな」
…と、何とはなしに頭をガシガシと掻いて、ふぅとため息をこぼして。
とりあえずは、香にどんな顔をしたもんかな……と、頭を抱えた。




END    2006.4.29