●桜~sakura~●



食後、いつものとおりソファにごろりと横になってたら、洗い物を終えた香がとことことやって来た。
「ねぇ、リョウ。美樹さんトコに来てたお客さんの話しだと、新宿御苑前の桜、そろそろ五分咲きなんですって。
お天気もいいし、お花見に行かない?」
「んぁ~……?」
ちらと見上げれば、カーテンの向こうの空は青く澄み、ぽっこりとした雲が緩やかに流されていて。
冷たさを無くした柔らかな風が、カーテンを弄ぶようにひるがえしていた。
確かにいい天気だが……何もこんな日に、わざわざ人込みの中に出向くコトはあるまい。
「ん~……だりぃ。みんな同じように考えてるヤツらばっかで、混んでるだろ。……パスッ!」
「えぇ~っ?!年寄り臭いわねぇ。アンタ、万年ハタチなんでしょ?普段言ってるコトと違うわよ?」
「いーの、いーの。万年ハタチだろうが、ヤなモンはヤなの」



ぷぅとふくれる香を無視して、再び気持ちよいまどろみの中に目を閉じようとしたが、
香の突き刺さるような視線が痛くて眠れやしない。
「ねぇってばぁ~」と、ソファの前に座って俺の身体を揺すり、しつこくねだる香にため息まじりに目を開ければ。
その茶色いくせ毛に、淡いピンクの花飾りを見つけた。
「……花見なんて、わざわざ新宿御苑まで行かなくたって、ウチで出来るじゃねぇか」
「……え?」
大きな瞳をぱちくりとしばたかせる香にくすりと笑いながら、猫毛に絡み付く桜の花びらをすくってやった。
先日、近所にOPENした花屋が、開店祝いに先着順に配っていた桜の植木。
小さな鉢だったが、なかなかの枝ぶりで。
ベランダに置いといたトコロ、このところの気温上昇に、あまたあった蕾がいっせいに花を咲かせていたのだ。



「まぁ、確かに……」
「………だろ?」
にやりと笑えば、不承不承ながら香も笑みをこぼす。
まだまだ小さな桜だが、枝ぶりはそれなりのモノで、早くも後々デカく、立派な大木になりそうな片鱗を見せている。
そしたらもちろん、香の手にゃ負えないし。
そうなる前、こっそり近くの公園にでも植えてやるか。
ただ、それまでは、まだ数年。
ココで二人、その成長を見守りながら、春の訪れを愛で。
また共に春を迎えられたコトを感じられたら……それだけで十分。
"シアワセ"……って、そーゆー小さなモンなんじゃねぇ?



「ふふ……リョウにも……ほら。花びら」
と、言って、俺の頭に飛んできた桜の花びらを、スッと掬い上げ。
形のいい顎をしならせ、掌に乗せたそれを、ふぅと吹き飛ばす。
香の甘い吐息に掬われた花びらが、ベランダからの風も手伝って、ふわりと部屋の奥まで舞っていった。
先程まで洗い物をしていたせいか、清潔な石鹸の匂いがふわりとただよう香は眩しいくらいで。
その突き出されたかわいらしい唇にしばし見惚れてたら、俺の視線に気付いた香が、恥ずかしそうに微笑んで。
そのくせ、逃げるコトなく、その白く細い指先で、ゆっくりと俺の髪をすきはじめる。
地肌に触れるか触れないかというその絶妙のタッチが、絶妙に心地よい。
のどかな春の昼下がり。穏やかな風と、しっとりとした指先と。
石鹸の匂いと、香自身の甘い匂いとにうっとりと目を閉じて。
やがて訪れた心地よい春のまどろみに、ゆっくりと身を沈めていった。





END   2010.4.6