●桜吹雪に思ふ●



一陣の風が髪をなびかせ、吹き抜けていった。
見上げれば、抜けるような青空。
そして、それを隠してしまうほどに咲き誇る満開の桜が風に吹かれ、
はらりはらりと、薄紅色の花びらを、あたり一面に舞い散らしていた。
春爛漫…ってのは、こういうことを言うのか…。
俺は桜の大木に身を任せ、兄の墓に熱心に語りかける香の姿を、ただぼんやりと眺めていた。




「あんたには、新しい相棒が必要でしょ」
兄の死を告げられ、その大きく見開いた瞳にみるみる涙が浮かぶ。
しかし、瞬時に切り替わったその瞳は厳しく、そして激しく…
アイツは俺をキッと見据え、こう言い放った。
たった一人の肉親の死…ましてそれが、殺されたとなれば。女なら、泣き喚くのは当然のこと。
そう思っていた俺は、その強気な瞳に頼もしさを感じた。



そしてその勝気な印象どおり、香は事あるごとに、俺に突っかかってきた。
朝は早くから叩き起こされるし、酒やタバコには煩いし。俺の為すこと全てにチャチャを入れてくる。
まぁ、それはそれで、悲しみを紛らわすにはいい気晴らしになるだろうと、させるがままにしておいた。




しかし、ユニオンの情報を捜し求めて帰宅した深夜、香の部屋から聞こえてきたのは、押し殺した泣き声…。
枕でも噛み締めているのかその声は低くくぐもり、ずいぶん長い間聞こえていた。
「こらぁーリョウ!いいかげんに起きろ~っっっ!!!」
翌朝、俺を起こしに来た香は、いつもと変わらない元気な声で俺を罵る。
しかし普段気にも留めなかったその瞳は赤く充血し、一晩中泣いていたことが、ありありと見て取れた。
泣き声も泣き顔も、俺には見せない…ってことか。
たった一人の肉親を亡くし、普通の女なら、どうにかなってしまうだろうに…。強がる姿が、妙にいじらしかった。
今、思えば…あれが香を意識した、初めだったのかもしれない。




ユニオンを押さえ槇村の仇を取った後は、香を表の世界に戻すつもりでいた。
そうすることが当然のことだし、素人女を手元に置くのは、俺にとってもリスクを伴うからだ。
しかし香はいっこうに出て行くことをしないばかりか、変わらず俺の世話を焼き、俺のアシスタントまで始めやがった。
まぁそのうち飽きるだろう…そう、思っていたのだが…。
アイツはそのまま俺の元に留まり、俺も結局ズルズルと、手元に置いたままになってしまった。




そうして四六時中、アイツと顔をつつき合わせていると、その瞳が面白いように変わるのに気付いた。
俺を起こしに来る時の、怒りの中に楽しさを含んだ瞳。
新聞を読みながら食事する俺の、にらみを利かせながらも、半分あきらめているような瞳。
旨いメシが出来た時は、自慢げに笑う、ガキみたいな瞳で…。
酔って帰りの遅くなる俺を、起きてリビングで待つようになったのは…いつの頃からだったか。
初めは飲み過ぎだの何だのとふくれていたが、いつからか…裏の仕事から帰ると、泣きそうな瞳をしていたな。
勘がいいのは、兄譲りか…?その泣きそうな瞳が俺の姿を認めた瞬間、安どの色を見せる。
そんなに心配だったのか。俺のことが。そんなに俺は、お前に心配をさせていたのか…?
そう思ったら無性にやりきれず、コイツにこんな顔をさせてはならない…そう、思った。




時を重ね、少女という衣を一枚ずつ脱ぎ捨ててゆく香。
その変化は微々たるものだったが、確実に香をへと変えていった。
そしていつしか俺を見つめるその瞳に、今までとは違った光が宿り始めたのに気がついた。
香が…俺、を…?




意地っ張りで口下手なアイツは、言葉に出来ないその想いを瞳に託し、ストレートにぶつけてきやがる。
そのストレートさに戸惑いどうしていいか分からない俺は、心にもない不用意な言葉で、散々にお前を傷つけた。
それなのに、傷つけても傷つけても、お前は変わらず俺の傍にいて、俺の世話を焼いてくる。
こんな俺でいいのか…?こんな俺の傍にいることを、お前は望むのか…?
親友(とも)からの預かりもの…そう思っていたはずなのに…。
槇村、仕事の依頼にゃ口煩かったお前だが、最期の依頼が、一番キツイぜ…?




戦場で己を守ることに精一杯だった俺は、本気で人を信じ、愛することなど知らなくて。
そんな俺に香が向ける瞳も想いも、あまりにストレートすぎた。
さんざん…迷ったさ。お前を表の世界に戻すのは、誰がどう見ても正しい答えだから。
だって、そうだろう?俺の傍にいるということは、常に危険と隣り合わせの生活。
いくらアシスタントとはいえ、素人のお前が一生身を置くには、あまりに危険すぎる。だから、俺は…。




しかし、幾度となくそう思うくせに、それを決断することは出来なかった。
それをしたら…俺が俺でなくなってしまいそうな気がしたんだ…。
今のこの、おかしいくらいに平穏な日常を失う…想像しただけで、冷や汗もんだ。
笑っちまうだろ…?自分を守るのに必死で、平気で他人の命を奪ってきたこのおれが、
たった一人の女に、こうも簡単に心を奪われるなんざ。お前を失うことに、怯えるなんざ…。
苦笑(わらう)しかなかったが、その気持ちは、認めねばならない事実。
いつの間にか、その瞳に魅せられていた…。
裏の世界で名を馳せた俺を、虜にしたお前の瞳。
その瞳に悲しみの色を浮かべないように、その微笑を、いつも俺に向けてくれるように…。
この命ある限り、俺はお前を守っていこうと心に決めた。
槇村…いいよな?こんな俺でも、許してくれるよな…?




「何、暗く考え込んでるのよ、リョウ?」
気がつけば、香が俺の顔を覗き込んでいた。
槇村の墓参りに来て、相変わらず熱心に墓に向かって語りかける香に、ふっと昔を思い出していたらしい。
背を預けていた桜の大木からは、まだ変わらず、桜吹雪が舞っていた。
「もう…いいのか?」
「うん。リョウの悪口、いーっぱい言ってやったわ?」
「相変わらず、だ、コト…」
楽しそうにニヤリと笑う顔は、どこかガキ大将のようで。
ふーん…こういう顔もするのか、コイツ…と、妙に新鮮だった。




「さ、帰るぞ」
「えっ?!ちょ、ちょっと、リョウは?アニキに何か、言うことないの?!」
「お前みたいに長々とヤローに話すことなんざ、ねーよ」
「ひっどぉ~い!アニキ、またねっ!!」
ズンズンと歩みを進める俺に駆け足で追いつくと、その腕をキュッと、俺の肘に絡めてきた。
「さ、帰ろ…?」
桜吹雪を身に纏い、極上の笑みを浮かべる。
…ったく…無防備にそういう顔、見せるなよな。
その笑顔にコロリときて、図々しい勘違いをするヤツらがいるから、男の依頼は請けられねぇんだよ…。




その瞳に俺以外の男を映させたくないいう独占欲が芽生えたのも、これまた最近のこと。
いつになるのかわからんが、その時が来たら、また…。二人で、報告に来るとするか。
面と向かって槇村の墓に言うには照れくさくて。肩越しに振り向き、じゃぁなと軽く手を振った。





END   2005.3.17