●線香花火●



「ねぇリョウ、食事が終わったら、花火しない?」
「んぁ~?花火ぃ~?」
そう、と言って香が手にしたのは、小さな家庭用の花火のセット。
買い物先のスーパーで、残り物だからと貰ってきたらしい。
「もう夏も終わりでしょ?夏の名残に…ね?」
未だ暑苦しいいからイヤだのとブツブツ文句を言ったら、淹れていたコーヒーの手を止めやがるもんだから。
おいおい、そりゃぁねぇだろう…と、渋々とOKした。



食後の一服にとタバコをくわえ、冷えた缶ビールを手に香の後についていく。
彼女の手には小さなバケツと、花火のセット。
足取り軽く鼻歌なんぞ歌って屋上へと向かうその姿は、ガキそのものだった。
備え付けのロウソクに火をともして、香はいそいそとそれに花火をかざす。
スターライトだのミラクルだのと子供だましの名前のつく手花火に火をつけると、
とたん、色鮮やかな火花と白煙が勢いよく飛び出した。




そしてそれらを両手に持った香はクルクルと回し、光の輪を描きながら屋上を楽しそうに走っていく。

かと思えば、俺を驚かそうとして放ったはずのネズミ花火が自分の足元に来て、キャーキャーと逃げ回ったり。
セットの中に入っていた小さな打ち上げ用のロケット花火が思ったより大きな音できれいに打ち上がると
、暢気に「たぁまやぁ~♪♪♪」などと声を掛けている。

まったく…コイツはいくつなんだと苦笑いしながらも、子供みたいにケラケラ笑う香を微笑ましく見つめ、
手すりにもたれながら温くなった缶ビールを口に含んだ。




次から次へと、あらかた終えてしまった花火でバケツはいっぱい。
華やかな花火をみせていたそれらは、今は寂しく、黒く澱んだバケツの中にその身を沈めていた。
「もうっ!!リョウったら結局、見てるだけじゃないのよっ!!」
ぷうと頬をふくらませた香が、俺の前に元気よく握ったグーを突きつけた。
「ハイ、これリョウの分ね。線香花火くらい、一緒にしよ?
線香花火はね、最後まで火が落ちなければ願いごとが叶うって言われてるの」

「願いごとぉ~?…ったく、いつまでもガキだねぇ、香ちゃん」
とたん、ギロリとすごい目でにらまれて。
後一歩でハンマーが出てきそうな、その勢いに蹴落とされた。
「はいはい、やらせていただきますよ~っと」
両手をホールドアップした俺に香はいたく満足げに頷いて、嬉しそうに微笑んだ。



屋上にいい歳をした男と女がしゃがみこみ、線香花火の競争スタート。
いつに無く真剣なまなざしの香の視線は、線香花火の先に一心に注がれて。
花火を持った手首を片手で支え、その両肘を膝の上で固定するという念の入れようだった。
「ところで…お前の願いごとってぇのは、何なんだよ」
「…うるさいっ!!花火の火が落ちちゃうでしょ?話しかけないでよっ!!」
手はそのままに、視線もそのままに。
けれど鋭いナイフのような答えが返ってきた。
おぉぉぉ~こわっっっ!!!
しかし、そのガキみたいに真剣な香の目の中にかすかに揺らぐのは、不安の色…。
あぁ…コイツ、やっぱり昨日のこと気にしてやがんな…。



昨日、大通りからちょいと外れた薄汚い路地でチンピラに声をかけられた。
当然俺の知り合いじゃなかったが、ヤツが俺と遊びたがっていたので少しだけ相手を務めてやった。
まぁ、たいしたヤツじゃなかったが、ついとかわした時にナイフでかすった傷が思ったより出血していて。
帰宅したとたん、血相を変えた香に包帯でぐるぐる巻きにされちまった。
たいしたことは無いと言ったのに…やはり相当気にしていたんだろう。



香の不安…それは、身近に居る者をふいに失うこと。
自分の誕生日に最愛の兄を失って以来、香の心は常にそんな不安に怯えていた。
そしてこんな俺の傍にいて、パートナーなんぞになって。
常に危険と隣り合わせの生活だとわかっているであろうに、俺の身を案じて止まない。
そんな不安にさせるくらいなら、表の世界に帰してやるべきなのだが…
それも今更、出来ようはずはなくて。

俺にしてやれることといったら…香を不安にさせないように、
チンピラ相手にしても小さな怪我ひとつ負わないようにと、気を遣うことだけだった。

それでも時として怪我のひとつやふたつ負うことは、こんな商売をしていれば、いたしかなの無いことで。
そしてまた、俺は香を悩ませ不安にさせるのだった。



“リョウが毎日、無事でいられますように。リョウが怪我などしませんように…”



生真面目に線香花火を見つめるその瞳は、きっとそんなコトを念じているのだろう。
コイツの考えてることは、その顔を見れば手に取るようにわかる。
こんな商売していれば、怪我するなって言う方が無理なのは重々承知なのだが。
それでも…それでも、その想いが嬉しくて。
そんな不安げな顔ばかりさせてしまう自分が、これまた不甲斐なくて。
そして思わず、苦い溜め息が漏れる。
「……?」
知らないうちに深い思考の渦に飲まれていたのか、
いつに無い深い溜め息に香がチラと視線を向けて、小首を傾げる。

ふっ…また心配させちまったか…。
「何でもねぇよ」とぶっきらぼうに答えて、俺もまた、意識を線香花火に戻した。



そう…お前がそう願うのなら、そうだな、俺は…。



香と共に生きていけるように…
コイツがずっと、俺の傍にいてくれるように…
そしていつか、コイツのすべてを…



パチパチと稲妻のような火花が散るのを見つめながら、頭の中にグルグルと考えが渦巻く。
はは…俺ってばいつから、こんなに欲深い男になっちまったんだろう。
失うものなど、何も無かったはずなのに。
たとえ明日命を落としたとしても、悔いることなど何も無かったはずなのに。
今はただ…生きたい、生き延びたい。
香の作ったメシを食って、ふざけあって。
グチを聞いて、ハンマーでつぶされて。
そしてコイツの笑った顔を、明日もあさっても、来年も再来年も。
それから先も、ずっとずっと見ていたい…。



暗がりの中、線香花火の淡い光が香の顔に陰影を作る。
長いまつげが細かく震え、目元に淡い影を映し出す姿はひどく儚げで美しかった。
コイツのせいで、俺はこんなにも違った人生を歩むようになったか…。
揺らぐ火花の中に浮かぶ香の横顔を見ながら、
ここまで生に執着するようになった自分を情けないと思いつつ。

それでも、そんな今の自分を妙に気に入っていたりする。
ふっ…と、今度は香に聞こえないようにそっと苦笑して。
そして生ある喜びに感謝しながら香と二人、線香花火を見つめ続けた。




END    2005.9.5