●snow day●



ふんわりとした真っ白なウサギの毛皮のコートは、冴子さんのほっそりとした身体を優しく包み。
袖口からのぞく白く細い指先は、あたたかそうなマフに覆われて。
同素材の帽子からのぞく黒髪と真っ赤な唇がひどく印象的。
同性ながらに思わず息を飲んでしまうほどだった。
あのコート、どこでレンタルしてきたのかしら。
いやいや、冴子さんあたりなら、これくらいきっと私物。
たくさんのワードローブのひとつに過ぎないわよ、きっと…等々。
胸の内に巡る思いは、育ちのせいか、どうにも貧相になりがちで困っちゃう。
そうこうする内、折しも小雪が舞ってきて。
寒さで吐息も白くなる夜気をまとった冴子さんは、さながら、童話に出てくる雪の女王さまのようだった。



「じゃぁ、行ってくる」
「ん………」
「じゃぁ、香さん。リョウ、借りるわね」
にこりと微笑む様は、本当に優雅で気高くて。
それをエスコートするリョウも、こちらは借り物とはいえ、上等なカシミアのコートを羽織り。
ドレスコードに従った黒のスーツとタイが、そのがっしりとした身体を見事なまでに引き立たせ。
悔しいくらいサマになってた。冴子さんと並んでも、何等遜色のない伊達っぷりを見せる男なんて、そうはいないものね。
あぁ…何だかまるで、雪の女王に連れていかれる少年・カイみたい。
一方、寂しく一人残されたゲルダ……私はといえば。
「……いってらっしゃい……」
俯きながら、そう言って。
容赦なく寒風が吹き込む玄関の扉を、ため息とともにそっと閉めるしかなかった。



今回の冴子さんからの依頼は、東欧の小国が主催する領事館でのパーティーへの潜入。
その国は小さいながらも資源が豊富で。
それをかさに着るコトなく、国民第一にと考えて国政を執る清廉潔白な王室を、国民はひどく崇拝してるのだとか。
それが気に入らず、内政に口を出してきたのが、王の従兄弟たる駐日大使で。
今回、国王が来日するのをいい機会とはがりに、ひそかに暗殺を目論んでいるという情報が入ったんですって。
小さいながらも王国となると、領事館主催のパーティーもかなりな厳戒体制。
気軽く潜入なんて難しいんだケド、そこは裏の手。
親日派の王女が日本に留学した時、麗香さんがクラスメイトだったというコト。
偶然にも、気のあう二人が今でも電話やメールでやり取りをしてるというコトなどが幸いして。
王女のひそかな手筈により、冴子さんとリョウが招待客として、パーティーに潜り込むコトになったの。



そんな中、必要最低限以外の人の出入りは、よけい不審がられるのは必定で。
だからパーティーに潜入し、隠密裏に主犯たる大使を暗殺するという責務を負ったリョウだけが、
冴子さんの案内によって導かれていった。
そう……だから私は、今回はお留守番。
むろん王女の助けを得て、領事館の内部地図の作成や、パーティーのタイムスケジュールなど、
綿密なる筋だてはしたけれど。
潜入するには及ばない、今回は後方支援と言い渡されてしまったの。
リョウを信じてはいるけれど、私を置いて、冴子さんだけ連れてくのは……正直やっぱり、ショックだった。



「冴子さん……キレイだったね」
リビングに戻り、お気に入りのカップに熱いコーヒーを入れるケド、心のもやもやは渦巻くばかり。
どうにもやり場のない気持ちを、かわいそうだけど、代役・リョウちゃん人形にぶつけてみる。
何も言ってくれないと知ってても、胸にわだかまる思いはうごめいて。
どんどん悪い方へ悪い方へと沈んでいってしまうんだもの。
「ねぇ……もしかして、ホントは今も、冴子さんのコト、好き……?」
今まで誰にも言えず、胸にしまっておいた、小さな不安のカケラ。
でも、いざ口にしてみたら、何だかそれがやけにリアルに感じられて。
とたん、胸が焼け付くように苦しくなる。



「ねぇ……私のコト、どう思ってるの?少しは好き……で、いてくれてる……?」
日々の朝帰りのしっぺ返しを受けまくってきたリョウちゃん人形のその頬は、もうすでにボロボロで。
フェルト地が毛羽立ってきちゃってる。
その頬をむにと引っ張った。
「照れ屋で口下手ななもわかってるケド……でも……」
漆黒の瞳の代わりにと縫い付けた、真っ黒なボタンをキッと見据えて、ふぅと一息吸い込んで、覚悟を決めた。
「でも……でも……。いいかげん、ハッキリしてよ……っ!!」
当の本にには向けられない想いの丈を、ここぞとばかりにぶつけてみれば。
相手は人形なのに、悲しいくらい、涙がぽろぽろこぼれ落ちる。
ドレスアップで腕を絡め、誰もが羨むようなカップルとして出掛けて行った二人の後ろ姿が目に浮かんだ。
「ホントに……ホントに悔しいくらい、お似合いだったよ……?」



普段リョウがどれだけバカをしようが、仕方のないコトと笑ってみせた。
ヨソの女の子にちょっかい出したりナンパしたりは、挨拶がわりなんだとため息まじりに納得してみせるコトを覚えた。
でも、そこまで出来るようになったのに、相手が冴子さんというだけで、胸の奥が焼け付くように熱くなる。
時として、じりじりと焦げ付くような痛みさえある。
この胸の、自分でも普段めったに覗くコトのない奥深いトコロに、黒く重たい澱が音もなくたまってくのを、
ひしひしと感じてしまう。
そう……リョウとアニキと、その両方に深くかかわる冴子さんは、私にとって、とても特別な女性(ひと)だった。



「………っ」
ヤケドしそうに胸が熱いのは、嫉妬の証。
でも二人の手前、それを認めるコトはしたくないし……きっと出来ない。
もしかしたら知らず、表情(かお)に出てしまってるのかもしれないケド。
それでも"二人の関係が気になる"だの"だから親しくしないで"だのとは、とてもじゃないケド言えやしない。
アニキを愛してくれて、今なお大事に想ってくれている冴子さん。
仕事も出来て、才色兼備。あのリョウでさえ一目置いてる冴子さん。
アニキを交えた二人の仲に、一時期、"そういうキモチ"があったらしいコトも知ってる。
だからこそ、二人のコトに強く出れない自分がいる。
もし"万が一"の答えを聞かされた時、傷つきたくなくて。
問い詰めるコトも出来ないままに、びくびく怯えたままの自分がいる。



「……ふふっ……リョウのコト意気地無しだなんて言っときながら、ホントの弱虫は私じゃない」
頬を伝う涙の粒が、また一際大きくなって。
途切れるコトなく、あとからあとから滑り落ちる。
「弱虫じゃない……卑怯じゃない……」
否定も肯定も、何も返してくれないのをいいことに、人形の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
そのくたんとしたやわらかな身体から、ほのかにリョウの移り香がして。
何だか無性に、また泣けてきて。
次々とあふれてくる感情の流れにまかせ、思い切り涙を流した。



「たっだいまぁ~。おーい、いないのか?香ぃ?」
いつの間に眠ってしまったのか、玄関から響く暢気な声に目を覚まし。
カーテンを閉め忘れた窓の外がとっぷりと暮れているのに気付き、思わずぞくりと身震いした。
「おーい、香ぃ~?」
こちらの戸惑いなどお構いなしに、自宅アパートを遠慮のカケラもなく、リョウの声がこちらへと近づいて来る。
「ンだよ、いるんじゃん。返事のひとつくらいしろよなぁ~」
息を押し殺してたつもりなのに、私の気配を探すなんて朝飯前とばかりに、ついにリョウがリビングに入って来た。
「……う……うん。ごめんね?つい、うたた寝しちゃって……おかえりなさい」
いつの間にか眠ってしまった目は、泣き腫らして赤くなってる。
どこか熱をもった腫れぼったさを感じるから、それは鏡を見なくても明らかだった。
そんな顔を見られたくなくて、どうしてそんな顔してるのかと、問い詰められたくなくて。
リョウに背を向け、カーテンのむこうに広がる……まるで私の心の中とおなじように、深く暗い漆黒の闇に目を向ける。



「うたた寝だぁ?いくらエアコンつけてたって、ンな薄着じゃ寒いだろ。
せめて上に何か羽織ってねぇと、いくらお前でも風邪ひくぞ」
にやり、と、意地悪な笑みを浮かべてるであろう気配。
でも、普段なら言い返せるはずの言葉が出てこない。
まるで何か重たいものを飲み込んだように、口を開くのも億劫になった。
「……ん……そうだね。それで?仕事の方は大丈夫だった?」
「おう。俺の手にかかりゃ、あんなの朝飯前さ♪」
はじめは冴子さんの依頼は嫌だと、あんなに渋っていたクセに。
結局、冴子さんの依頼を断ったためしが無いのは、それはやっぱり、そういうコトなの?
……と、暗い思考の波がまたうごめきだす。
依頼を終えて、ホッとした?冴子さんから、キスのひとつでも貰ってきた?
それともまた、もっこりを迫って。
もしかして、もしかして……私に内緒で、OKして貰った……?



「そう……よかった。ごめん…ちょっと熱っぽいから、先に休むわね」
リョウが無事帰って来たというのに、思いは悪い方へ進む一方。
ダメ……これ以上ココにいたら、頭がおかしくなりそう。
もう、たくさん。これ以上、何も聞きたくないし話したくない……と、力の入らない重たい身体をどうにかして持ち上げて。
冴子さんからの依頼を終えて気分よくしているであろうリョウの顔など見たくない……と、視線を反らし。
フローリングの木目を目で追いながら、重たい身体を引きずるように歩く私の腕を、リョウが強い力で引き寄せた。



「おい……香……?お前、どうした?何か変だぞ?」
「……何でもない」
「何でもないわきゃねーだろ。何だよ、何があった?」
リョウの視線から逃れようと、床に目を落としたまま、ふるふると首を振る。
そんな私を気遣う心配そうな声すらも、何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。
私……今、きっと酷い顔してる……っ。
そんな私を見られたくなくて、どうにかしてこちらを向かせようとするリョウの視線から逃げ回る。
でも、結局はリョウの力に敵うはずもなくて。
大きな手で両頬を包まれて、無理矢理に視線を捕らえられた。
「何でもないったら何でもな……っ」
「……いいからこっち向け……っ」



「……や……っ」
逃げられる筈もないのに身をよじれば、ほのかにかおる硝煙の匂い。
それすらも、冴子さんを思い出させ、抗いの言葉を口にするものの、力勝負で勝てる筈もなくて。
首を振って嫌がる私の視界に、ふいに白いものが入り…そのまま止まった。
「リョ……?」
力強い手によって無理矢理に視線を合わせられ、まじまじと見つめたリョウの顔。
その黒い髪にも、借り物とはいえ、憎たらしいくらいに似合ってる上質なカシミアのコートの肩にも。
うっすらと白い雪がふりかかっていた。
「……ったく……何だってんだよ。あ?ハッキリ言えって」
息を荒げて鋭い視線をくれるものの、その漆黒の瞳の奥には私を気遣う、優しい色にあふれていた。



さっきのやり取りで軽く乱れた黒い前髪に手を伸ばし、そっとかきあげれば、
指先の温度に淡雪がちいさな雫へと変わって滑り落ちる。
「……リョ……雪……?」
「……あぁ。たいしたことないと思ってたら、結構降ってきやがった。
冴子のヤツ、依頼が片付いたあとは、すっかり掌返しやがって。
リムジンは時間レンタルだからとっとと帰れって、アパートの手前で降ろされちまった」
そう言うリョウの、形のいい耳も、鼻の頭も。
その指先までもが、寒さにほんのり赤く染まって。
見るからに痛々しげだった。



出掛ける前、あまりに見事なカップルに見えた二人の姿が思い出される。
あのカッコでリムジンなんか乗ったら、どの世界にだって通用するセレブよね。
私なんか……逆立ちしたって、あの冴子さんになれっこないもん。
また思考の渦に呑まれて、プイと視線をそらした。
「タクシー……拾えばよかったのに」
「日頃から節約しろってうるさいのはお前だろ?」
「ねこまんまにでも寄って、あったまってくればよかったのに」
「寄ろうと思ったんだが、早くお前んトコに帰れって、歌舞伎町を見事に通り過ぎて、
そこの角で降ろされちまったんだ……しかたねぇだろっ?!」
「……え……?」



「冴子さんが……帰れ、って……?」
ふ……と、今の今までいやらしく渦を巻いていた黒い感情が、ふいに揺らいで。
そのまま静かに、水面にさざ波がたつように、穏やかになっていく。
声をあらげるものの、照れ臭さの混じったそれに気付いてないのか、リョウの耳がほんのりと赤く染まってる。
そんな飾らない素顔が無性に愛おしくなって、胸の奥がグンと熱を帯びてきた。
あぁ……どうして疑ったりしたんだろう。
アニキを亡くしたあと、冴子さんは私のコト、まるで血の繋がった妹のようにいつも気にかけ、大事にしてくれた。
私とリョウの間かぎくしゃくした時は、ちょっぴり意地悪な冷やかしをするコトもあるけど。
いつも間に入って、執り成しをしてくれた。
それなのに、私ったらそんな冴子さんを疑うなんて……。



……もう、いい。
たとえ二人の仲に何かがあろうと、それはきっと、私が考えてるようなコトじゃない。
要は私自身の気持ちさえしっかりしていれば、何も怖いコトなんかなかったのよね……。
目の前で、少しうろたえがちな視線をくれる。
そんなリョウが愛おしくて、かわいくて……思わずくすりと、笑ってしまった。



「……笑ったな?少しは落ち着いたか。……で?いったい、どうしたってんだよ」
寒さからか、スンと一度鼻を鳴らして。
それでも真っ直ぐな視線を向けてくる。
それはどこまでも私を気遣う優しさに満ちていて、何だか泣けるほど嬉しくなった。
「……うん……ホントに何でもないの。ちょっと……怖い夢を見ただけ。嫌な夢を見ただけ」
先程まで胸につかえていた澱が、スッとどこかに行ってしまったようで。
息をするにもあんなに苦しかったのに、今は穏やかに呼吸が出来る。
出向かえた時は無理につくった笑みも、今は自然に微笑むことが出来た。
「……そうか……?」
「ん……心配かけて、ごめんなさい」
まだ少し俯きぎみな私を気にしてか、膝をつき、不安げに下から覗き込んでくる。
そんな優しさが身にしみて、強張っていた頬の筋肉がふっと緩んだ。



「大丈夫……ホントに大丈夫。それより、リョウの方が寒そう……大丈夫?」
そう言って、髪や肩に掛かった雪を払いのけてやれば。
「ああ……さびぃっ!!すっかり身体の芯まで冷えちまった。とっととこの堅苦しいの、脱ぎたかったんだよ。
シャワー浴びてくっから、何かメシ、あるか?」
と、うるさげにタイを緩める姿が、妙に色気を感じさせて。
ふいに目の前にさらされた大きな喉仏に、ドキリと胸が鳴る。
「冷凍しといたカレーがあるから、すぐ用意するわ。ほら……風邪ひいちゃう。早くシャワー浴びてきて?」
慌ててキッチンへと立ち上がろうとした私の頭を、大きな手がくしゃりと撫でるや、
「へくしょん」と、大きなくしゃみをひとつして。
忌ま忌ましげに肩をすくめながら苦笑いして、足早に浴室へと歩いて行った。



大きな背中を見送ってしばらくすると、シャワーの水音が聞こえて、ホッとする。
リョウが帰ってきてくれた……私の下に、帰ってきてくれた。
今はもう、それだけでいい……。下手に考えこむのは、私の悪いクセ。
自分に自信を持って、自分に負けない"私"でいなくちゃ、いけないのよね……。
開け放してたカーテンを閉めようとして、ふと外の景色に目をやれば。
暗く渦巻いていた心をとかすかのように、真っ黒な空から淡い雪の花があとからあとから舞い落ちる。
しばらくそれをそれを目で追ってたら、暗く澱んでいた胸の内が、静かに清められていくかのようだった。



やがて、バスルームから暢気な鼻歌が聞こえてきたかと思えば、ふいにガラリと硝子扉が開く音がして。
「おーい、香ぃ~。シャンプー、切れてんぞ~」
と、シャワーの水音に紛れながら、リョウの声が聞こえてきた。
「うっ…わ、ごめーん!買い置きがしたのがあるから、ちょっと待っててー?」
幻想的な雪景色にしばし、感傷に浸るのもつかの間。あっという間に現実の世界に戻されてしまった。
「……ま、これでいいのかも……ね?」
窓ガラスに映る自分にそっと微笑んで、舞い散る雪の花々に別れを告げるように、慌ててカーテンを閉め。
バタバタと足早にバスルームへと向かう。
その頃にはもう、頭の中は、いかにして大食漢のリョウの胃袋を満足させようか、と。
ただそれだけで一杯だった。




END   2010.2.3