●早春賦●



「お願いしといたのよりも、少しツッ込んで調べて下さったようですね……助かります」

分厚い書類の束に丁寧に目を通しながら、視線だけコチラに向けて、リョウが謝意を表した。



「……どうじゃな?役に立ちそうかね」
「もう一息…ってトコなんですかね。でも、これさえあれば百人力ですよ」
「一気呵成というトコロじゃな?もう少し真面目に仕事をしたらどうかの。香くんも、困っているじゃろうに」
「……苦あれば楽あり、楽あれば苦あり……って、言うじゃないですか」
相変わらず書類の束に視線を走らせたまま、おどけた口調で返事を返す。
「そうは言うがのぉ……日々、一攫千金……とは、いかんものじゃて」
「………はぁ………」
苦笑しながらも書類に集中し、次第に言葉少なになってくる。
日頃ナンパな顔で街を彷徨うておるが、こうして仕事に集中し、黙っている姿は、中々の男前。
いやいや、ワシの若い頃といい勝負じゃて……ふぉっふぉっふぉっ。



「時に………リョウよ」
「…………はい?」
「香くんとはその後、どうなっておるのじゃな?」
視線は変わらず書類の上に落とし、ポーカーフェイスを装ってはいるものの。
ふいの問い掛けに、その表情が微妙に揺らぎおる。
ふふふ……ワシを甘く見る出ないぞ?ベビーフェイス。
お前のウソなぞ、すぐにバレバレじゃ。
何たってワシは、お前さんが若造の頃からの、長い付き合いじゃからのぉ。



「男は度胸、女は愛嬌と言うが……香くんはしっかりしておるし、お前さんにはもったいないくらいの娘(こ)じゃて」
「……あんな暴力女の、ドコが……」
「また憎まれ口を叩きおって。猫に小判、豚に真珠。お前さんには香くん……じゃな」
「………………」
「お前さんも若気の至りで、色々とやって来たじゃろう。
香くんはその全てを乗り切って、お前さんについて行こうと決めた……。その気持ち、察してやりなさい」
「………………」
相変わらずの無表情を装い書類を見ながら、だんまりを決め込む。
ページを捲る音だけが、静かな書斎に響きよった。



「お前さんこそ、香くんと一蓮托生じゃと……そう、思っておるんじゃろ?
死神とも恐れられたお前さんも、人並みに幸せを手に入れてイイというコトじゃ。

神さまが、それをお許しになっておるのじゃよ。まさしく、炒り豆に花……じゃが、若い時というモノは二度とないものじゃから。
だから……大事にしなさい、リョウ。それに……」
「……………?」
持って回った言い方をしたせいか、その黒い瞳が初めて書類から離れてこちらを向き、話の先を誘うように問い掛けよる。



「それに……お前さんたちが落ち着かないと、ミックがまた何か企んで困る……と。
そう、かずえくんがこぼしておったわ」

「……ちっ……何べん言っても、わかんねぇヤツだ。
どうせ、逃がした魚は大きい…とか、隣りの花は赤い…とか、思ってるんだろう。

あぁ、アイツはアメリカ人だから、そんな言い方、知らねぇか」
「隣の花は赤い……他人の持ち物はよく見えて羨ましい……というトコロじゃな。
しかし……ふぉっふぉっふぉっ。
香くんを自分のモノという自覚だけは、あるようじゃな?」
「………きょっ、教授……っ////」



忌々しそうに舌打ちし、眉間に深く鋭い皺を寄せる。
そこまでミックに妬くのなら、素直になればよいのにのぉ?
ふいに洩れた本音を指摘されて、らしくもなく、その頬に朱が走りおった。
ふぉっふぉっふぉっ……このくらいで動揺するとは、まだまだ子供じゃな、ベビーフェイス。



「……よいよい。しかしじゃな……リョウ?ローマは一日にして成らずとは言うが……
いつまでも香くんのことを、このままにしておくのは、どうかと思うぞ?」
「………教授までお小言ですか?お節介は、周りの悪友たちだけでたくさんですよ」
肩をすくめ、眉間に皺を寄せて。
大きなため息をつき、心底、嫌そうな顔をする。
どうやら日々、何がしかのお節介を受けておるようじゃな。



「いやいや。香くんは、お前さんが手塩に掛けて育て上げ咲かせた花じゃから、
そう簡単に散らしたくは無いというその気持ちも、わからなくは無いが……。

それでも、いつまでも放ったままにしておけば、美味いものは宵の内……とも言う。
あたら花の盛り、イタズラに時を重ねさせるのは、どうかと思うがの……?」

「…………………」
「ワシの言いたいコトは、それだけじゃ。お小言と取ろうが、お節介と取ろうが、それはお前さんの勝手じゃが……。
この老いぼれの気持ちも、少しは汲んで欲しいもじのじゃがな……?」
「……………はぁ………」



一際大きなため息と共に、下唇を噛み。
書類を片手に頭をガシガシと掻き上げながら、視線を窓の外に向ける。
木々の芽吹きたちに柔らかく降り注ぐ春の日差しが、その横顔に、瞳に降り掛かって。
そのせいか、その表情(かお)がそれまでとは違う……何か柔らかで、微妙な色合いに染まっていくように見えおった。



この男の一筋縄ではいかない性格は、重々わかりきってはいるが。
それでも少しずつ、微妙に変化してきているのは…優しげな色を、醸し出して来ているのは。
それはやはり……この男が何より大切にしている彼女ゆえ、なのじゃろう。
そんな変化が嬉しくて……未だ思案の色を浮かべたままの、その横顔を盗み見ながら。
邪魔をしないようにと、少し温くなった湯呑みを、静かに静かに飲み干した。




END    2006.4.22