●Splash●



鬱陶しかった梅雨も明け、ようやく顔を見せてくれた太陽に感謝しながら、
山のように溜まっていた洗濯物を嬉しそうに干す香。

気温は一気に上昇し、まだ昼前だというのにすでに32℃を超えている。
抜けるような青空はどこまでも続き、洗濯物を干す香の額も腕も、
もともとが白いだけにすぐに赤くなってしまう。

それでも今晩は久しぶりにお日さまの匂いのシーツで寝られるということに、
香の顔は喜びに満ちていた。




……しかし。
そんなお天気も一日も雨の降ることなく2週間以上続くとなると、
さすがの香もバテ気味で。

洗濯物が入った大きなバスケットを抱える足取りも、どこか重たげだった。
しかし今日の香はニコニコと笑いながら屋上に来ると、いつものように洗濯物を干し始める。
日焼け防止にと被った大きな麦藁帽子の下で、茶色のくせ毛が揺れていた。
そしてすべてを干し終えるとやおらバスケットの底から長く青いホースを取り出し、
水道に繋いで小気味よく蛇口を捻った。

ホースの反対側を手に、待つこと、しばし。
やがて手元のホースの先からチョロチョロと水が流れ始めたかと思えば、
とたん、それは一直線の流れとなった。




「ふふふ…ヨシヨシっと♪」
と、その白く細い指先でホースの先をキュッと摘まむと、
その流れはさらに勢いを増した。

それを確認した香は屋上の隅に狙いを定めて水を撒き、
次にその反対側になる自分の背後に撒いていく。

熱い日差しに焼かれたコンクリに撒かれた水はすぐに跡形もなく消えていくが、
それでも香は根気よく撒き続けた。

そして徐々に乾いたコンクリが自分の足元だけになるとしばし考え、
いたずらっ子のように大きな瞳をキラキラさせて「エイッ!!」とばかりに、自分のひざ下に水をかけた。




「~~~っっっ!!! 気持ちイイーーーっっっ!!!」

青いギンガムのサブリナパンツから覗いた形のいいふくらはぎをいくつもの水滴が伝って行き、
白いサンダルに辿り着いた水は足元に大きな水溜りを作った。

雨の日に長靴を履いた子供が遊ぶかのように、
白いサンダルで水溜りをバシャバシャと踏みつける。

水滴が跳ね上がる様を楽しそうに見る姿は、子供そのものだった。



「あぢぃ~~~っっっ!!!」
と、同居人の男が屋上に上がってきた。
水と戯れる香を見て、少々ムッとした様子。
「お゛い゛…早くメシの支度してくれよ。
リョウちゃん暑いのとハラ減ったのとで、もうゲロゲロォ~…」

「え?もうそんな時間?!ごめ~ん、今支度するから、もう少し待ってて?」
すまなそうに返事をするものの、そのまま足元やコンクリに水を撒き続けている様が、
さらにリョウを苛立たせる。

「…おまぁ、何やってんの…?」
ジト目とトゲのある言葉も意に介さず香はホースを持った手を
小刻みに上下に振って、水の作る波の姿を楽しそうに見つめる。




「見てわかんない?打ち水よ、打ち水♪」

「打ち水ぅ~?」
「そ。水分が蒸発する時、その地表の熱を下げるのよね。
だからこうして屋上に水を撒けば、建物全体の温度が下がるワケ。

クーラーをつけるより、こっちの方がより自然でしょ?
節約にもなるし、水を撒く楽しさも味わえるし。一石二鳥ってトコかしら♪」

ホラ、こうすると虹が出来るのよと、きつく摘まんだホースの先を軽く上に上げる。
大きな弧を描いてコンクリに落ちる水の半円の向こうに、
うっすらとではあるが七色の小さな橋が見えた。

それをうっとりと見つめる香に、リョウはますますブーたれる。



「んなケチくさいコト言わないで、クーラーつけようぜ?
何たって俺たちは、体が資本だ。
こんなに暑くちゃ、仕事にもなんねぇだろ。
それに、そんな足元冷やすくらいなら、プールでも海でも行けっつーのっ!!」

「イ・ヤ・ヨ。アンタってクーラーつけたとたん、一歩も部屋から出なくなっちゃうんだもん。
クーラーのつけっぱなしは、身体に悪いの!!
それに…プールや海に行くお金なんて、ドコにあるのよ。

グダグダと文句を言う暇があったら、何でもイイから仕事取って来いっっっ!!!」



そう言って小さな手のひらに少しの水を受けると、リョウに向かって「エイッ!!」と放る。
それはもちろん、リョウのところまで届くことは無くて。
陽の光を受けた水の粒たちはキラキラと輝きながらゆっくりと足元に落ちて、
濡れて黒くなったコンクリと同化した。

「フンッ!!まぁ、お前がプールだの海だのに行かないってのは、ある意味、正しい判断だよな。
お前の水着姿なんか見せられたら、その場で即、目ん玉がクサっちまうっ!!」
香の魅力を誰よりも知り、そして誰よりもベタ惚れなくせに。
素直になれないこの男はその本心を隠し、いつものように憎まれ口を叩いてしまう。



「なっ!何ですってぇ~~~っっっ?!」
リョウの意地悪には慣れっこの香だったが、
やはり日頃の暑さから来るストレスが溜まっていたようで。

せっかく涼んでいた気分もドコへやらと、おもむろにハンマーを取り出そうとして
……やめた。

そしてニヤリと不敵な笑みを浮かべると握っていたホースの先をこれでもかと
きつく摘まみ、憎きリョウの顔をめがけて水を浴びせた。




「うわっっっ!!!な、何すんだ、このバカッ!!」

とっさに身をかわしたものの、ふいをつかれたリョウの頭はしっとりと濡れてしまった。
「ふぅ~んだっ!!アンタのバカな脳ミソを洗って、少しは綺麗にしてあげようって思っただけよ。
ありがたく思いなさい?ホラ、もっと洗ったげる♪」
メゲずに香は、さらにリョウを追う。
それをヒョイヒョイとかわしていくものの、濡れたコンクリに足元を取られて尻餅をつき、その頭に香の水が直撃。
リョウは瞬時に…濡れネズミとなってしまった。



「あっははは…イイ気味っ!!」
「~~~っっっ!!!」
腹を抱えてヒーヒー笑う香に怒り沸騰のリョウはやおら立ち上がると、
香の手にしていたホースを奪いにかかった。

「貸せっっっ!!!お前も同類にしてやるっっっ!!!」
「ちょっ、ちょっと、リョウ!! やめなさいってばっ!!…もう、ヤダったら、ヤダーっっっ!!!」
まるで相手に掴みかからんばかりに、ホースの奪い合いをする二人。
その間も、ホースの先からは水が勢いよく流れているわけで…。
しばらくすると二人とも、まるでシャワーを浴びたかのようなズブ濡れ状態になってしまった。



…と、ジタバタとホースの取り合いをしていたリョウの動きが、ふいに止まった。
その視線の先には、水に濡れたシャツを身体に張り付かせた香の胸元。
なんの色気も無い無地の白いシャツの下の、下着のラインまでがくっきりと透けている。
普段意識して見ないようにしていた香の豊かなそれが、
張り付いたシャツのせいで余すことなく強調されていた。

麦藁帽子はどこかへ飛んで行き、水に濡れてしっとりとした茶色のくせ毛から落ちる雫が、
陽を受けて煌きを放つ。

頬に張り付いた髪から落ちる雫が形のいい顎、シャープな首筋を辿り、
そしてまだ見たことの無い豊かな胸の谷間へと吸い込まれていった。

その様をまぶしげに見つめていたリョウの喉が思わず、ゴクリと鳴った。



非常なまでの理性と努力で抑えてきた香への想いが溢れ出て、
今にもその身体を抱き寄せてしまいそうになる。

リョウは慌てて、香の身体を突き放した。
「やぁ~めたっとっ!いくらお前をからかったって何にも面白くねぇし、疲れるだけだ。
時間のムダ!!体力のムダ!!」

と、照れくささを隠すかのようにいつもの軽口を叩く。
ふいに態度を変えた男をいぶかしく思うものの、
さすがにこの濡れ方はやりすぎたかと、香は慌てて水道を止めた。




ふと見れば、「あーあ、こんなに濡れちまったじゃねぇか…」
とリョウは着ていたシャツを脱ぐとギュッと絞り、それで己の身体を拭いていた。

美しい顎のラインから喉元を伝った雫が、鋼のような逞しい胸板を幾筋も零れ落ちていく。
そのダビデ像のような完璧な姿に、香はほぅと見とれていた。
「何、ボーッと突っ立ってんだよ。そのままじゃ、風邪ひくぞ」
ふいに声をかけられたかと思えば、いつのまにかすぐ目の前に来ていたリョウが
己のシャツをふわりと頭に被せ、ガシガシと拭いてくれた。




「いつまでもそんなカッコしてたら、バカな頭がますますバカになるだろ?」
「な……っっっ!!!」
何ですって?!と怒りの声を上げようとするものの、
頭から被せられたシャツからはリョウ自身の匂いが。

そしてその隙間から時折見え隠れする厚い胸板が目の前にあっては、
普段の勢いも出せなくて…。

それでも精一杯の虚勢を張って、ガシガシと頭を拭いてくれているリョウの手を振り払った。



「もっ!もう、ヤダ!!そのシャツ、男クサイったらありゃしないっ!!
そんなので人の頭、拭かないでよねっっっ!!!」

恥ずかしさで、真っ赤に染まる頬。
一方のリョウはそんなコト露知らず、「んだぁよぉ…人がせっかく拭いてやってんのに…」と不満顔。
「さ、水遊びはコレでお終い!さっさとお昼の支度、しなくちゃね。
アンタもいくらバカは風邪ひかないって言っても、モノには限度があるんだから。
早いトコ、着替えなさいよ?!」

と捨てゼリフを吐くと、香はズンズンと階段を下りて行ってしまった。
残されたリョウはというと、シャツを摘まんでクンクンと匂いをかいでみる。
「男クサイったって、俺は男だもんなぁ…しかたねぇだろ」
と、さらに不満顔。
そしてそのまま大きく伸びをすると、ブルンと頭を振って雫を払い、香に続いて階段を下りて行った。



「…ミック?何をしているの?」
振り返れば、そこには愛しいカズエの姿。
「あぁ、カズエ。何…ね。この暑い中、向かいの二人がそれ以上に熱くなってるのを、
ちょっと覗いていたのさ」

軽くウインクしてみると、苦笑と共に返されるため息。
「またなの?じゃれあってばかりいないで、いいかげん素直になればイイのに…」
「あぁ…まったくだ…」
おどけるように肩をすくめて、また窓の外に視線を向ける。
「ねぇ、ミック…?」
「何だい、カズエ?」
視線をそのままに返事を返す俺の背に、数段トーンの下がったカズエの声が響いた。
「お向かいをちょっと覗くのに、どうして双眼鏡がいるのかしら…?」
「……」



外の気温は32℃以上。
今日も続く猛暑なのに。
それなのに…。
我が家には、激しいブリザートが吹き荒れていた…。




END   2005.7.18