●水平線●



「…大丈夫か?」
「う…ん…」
そう言って、ずれ落ちた毛布をリョウが掛け直してくれた。
私を気遣って向ける眼はとても優しく、普段見慣れない眉根を寄せたその顔が妙にカッコよくて。
私はしばし、見惚れてしまった。

そんなに心配しないでと笑って見せたけど、強がった笑みだということはリョウにはバレバレで。
その眉間に、さらに深い皺を刻ませてしまった。



両親の遺産相続争いに巻き込まれた依頼人のガードで訪れた、深い山間の彼女の別荘。
彼女を狙ったのは叔父さんで、それを知った彼女は泣き崩れてしまった。
ご両親亡き後、一番頼りにしていたのが、その叔父さんだったんですって。
お金があっても、いいコトばかりじゃないのね…。
涙にくれる彼女を宥めていたら、リョウに倒されたはずの叔父さんの雇った殺し屋が
最後の足掻きと、私たちに向かってナイフを振りかざして来た。
泣き崩れてた彼女は驚いて動くことも出来ず、彼女を庇った私の左腕を
殺し屋のナイフが舐めるように通り過ぎ、その後、鋭い痛みが走った。
すぐにリョウが殺し屋を動けないようにしてくれたけど、私の出血はひどく、

ナイフによる傷を見知らぬ医者に診せるわけにもいなくて。
それで深夜の山道を、教授の許へと車を走らせていたのであった。



幸いにもリョウの手当てが早く出血は止まったのだけど、傷が熱を持ち、寒気がしてきた。
シートをリクライニングにして備え付けの毛布をしっかりと巻きつけるけど、それでも体は小刻みに震える。
「…ふっ…う…」
体の芯は寒いくせに山道をガタゴトと揺すられ、頭は熱で朦朧とし、息をつくのもやっとという感じ。
そんな息遣いの私を時々見つめるリョウの目が、とても心配そうで。
あぁ、またドジっちゃったな…と、悔やまれた。




「また、迷惑掛けちゃって…ゴメン、ね…」
揺れが落ち着いた時、やっとの思いで声を掛けた。
チラリと私を見る目が「…またか…」と言っている。
私を守れなかったのは自分の責任…。
私が怪我するたび、いつもそう言ってくれるけど。
でも、違う…やっぱりこれは、私のミス…。
いつもなら堂々巡りの言い争いになるのだけれど、さすがに今日は、リョウの方が折れた。
「…ヘンなこと考えないで、寝とけ」
ぶっきらぼうな言葉の中に、照れ屋のリョウの優しさがこもる。
怪我した左腕を庇い、運転席側を向いて横になっているから目の前には、リョウがいる…。
その安心感が嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。




車がガクンと大きくバウンドしたかと思うと、車に伝わる振動が急に静かになった。
「幹線道路に出た。跳ばすぞ」
声と共に、車がグンとスピードを上げたことがわかった。
しばらくすると、前方の車を避けるのか、車が右に左にとせわしなく動く。
リョウの運転技術は知っているけど、リョウも軽いとはいえ、傷を負っている。
しかも深夜の山道を走るのに、相当の神経を遣っているはず。
「あんま…り、ムチャ、しないで…?」
「……」
「私…な、ら、大丈夫だから…」
「黙ってろ」
リョウの体を気遣ったのに、ピシャリと言われてしまった。
こんな荒い息遣いで言われたら、よけい心配しちゃうよね。
ごめんね…リョウ…。



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熱のせいか車の振動に身を任せたせいか、少しの間、眠ってしまったみたい。
見上げると、前の車の赤いテールランプを受け、真っ直ぐ前をにらみ、
忌々しそうに下唇を噛むリョウの顔があった。
どうやら、渋滞にはまってしまったみたい。
私の視線に気付いたのか、ふと、こちらを向いた。
「気付いたか…」
「う、ん…渋滞…?」
「あぁ、ちっとも動かねぇ。あいにくと側道も無いし…くそっ!!」
舌打ちして、大きな手がふわりと私の前髪を掻き揚げる。
覗き込むように見つめられて、怪我からくるのとは違う熱で、顔が赤くなるのがわかった。
「熱…まだ、高いな」
ちがうよ。この熱はリョウのせいだよ…と言いたかったけど、恥ずかしくてやめた。
「で…も、痛みは治まったみた…い」
「そうか…よかった…」
常備していた鎮痛剤が効いてきたけど、熱からくる寒さはまだ続く。
体がブルリと震えた。




…と、再び毛布を掛け直してくれるリョウの背後の空が、先ほどとは違うことに気がついた。
墨を一滴だけ垂らしたような、ちょっと微妙な青。
遠くの方に行くにつれ、その色は薄く、淡く。白色に近い色をしていた。
「夜が…明ける、の…?」
振り返って外の景色を見たリョウが、今気がついたという顔で苦笑した。
「あぁ、そうみたいだな。水平線の方が、白くなってきてる」
「水平線…?」
「…覚えてないか?来る前に、海沿いを通っただろ」
「…そういえば…」
熱に浮かされながら、思いを巡らす。
あの時は依頼人を守るのに必死で、犯人を別荘に誘き出すことに意気込んでいて。
窓の外の景色なんて、気に留める余裕すらなかったんだもの…。




「見たい…な」
「…ん?」
「水平線か、ら、日が昇る…の。見たい…な…」
「……」
ね…?という顔で微笑んだ。
前方を見て、まだ当分動かなそうな車列を確かめて。
しかたねぇなという顔のリョウがため息とともに、リクライニングを起こしてくれる。
ずっと横になっていたせいか、ふいに頭を起こしたせいで、軽くめまいがする。
思わず顔をしかめた私を気遣うリョウに、大丈夫よと微笑んだ。
「時機…だな」
「う…ん…」




青さがどんどんと淡くなり、白んでゆく水平線。
やがて白一色になった瞬間、真っ直ぐな水平線を掻き消すように、まばゆいばかりの光が走った。
光の帯は四方に広がり、空も海も、周辺の景色をも、瞬時に金色の世界に変える。
その光の強さに負けるものかと、目を細めながら、食い入るように見つめた。
「キレ…イ…」
「…あぁ…」
見ればリョウも目を細め、水平線を凝視していた。
朝日はゆっくりとゆっくりと昇り、次第にこちらまで届いてきた金色の光が、リョウと私を包み込む。
光を浮けたリョウの顔はキラキラと輝いて。
まるで、金色の鬣をなびかせるライオンのようだった。




百獣の王たるライオン。
その傍でいつも守ってもらうばかりでなく、時には王を助け、守ってあげられるような…
そんな、王にふさわしい相手になりたい…。
「…ありがと、リョウ。私…ね?水平線から昇る朝日…って、ずっと、見てみたかった、の…。
だか…ら、今、すっごく、嬉しい…」
「…そうか…」
優しく笑ってくれたリョウが、ふいに前を見て、慌てて私のシートを倒した。
「…っと、前、動き出したぞ。側道見つけたら速攻、跳ばすからな。もうしばらく寝とけ」
「うん…」



そろりそろりと動き出した車はやがてゆっくりとしたスピードになり、
しばらくすると、窓から差し込む朝日の角度も変わり始めた。
せっかく見れた朝日だったのにな…。
そう思ってたら車が勢いよくカーブを切り、側道に入った。
車はグンとスピードを上げ、煌く水平線も輝く朝日も、どんどんと遠くなってゆく。
せっかく…せっかくリョウと二人で見れたのに…と、重たい体を捻って後ろを見れば。
リヤウインドからかろうじて見えていた水平線が居並ぶ家並みに隠れ、そして…消えた。
「…海…見えなくなっちゃった…」
「んなもん、またいつでも見れるだろ」
「だって…せっかくリョウ、と、二人で見れたのに…な…」
「……」
熱のせいで頭が朦朧とするせいか、美しい朝日に魅せられたせいなのか。
普段は恥ずかしくて口に出せない想いが、素直に口を突いた。



名残惜しそうに体を戻し、ふうとため息をついたら、リョウがくすりと笑った。
重たくなった瞼を頑張って開けてみた私に、リョウがチラリと視線を送る。
「…怪我が治ったら…」
「…ん…?…」
「怪我が治ったら、また連れて来てやるよ」
「…ほん…と…?」
「あぁ。だから教授んちに着くまでの間、おとなしく寝とけ」
「ふふ…ヘンなの。リョウが優しいなんて、珍し…」
「そうでもないぜ?俺はいつだって、優しいの!」
言葉はおちゃらけてるのに真剣な目はしっかりと前を見据え、
鮮やかなハンドル捌きで車を走らせる。




私のために、いつも一生懸命になってくれるリョウ。
口を開けば喧嘩ばかり。心に想うホントのコトは、いつも隠したままだけど。
でも…ね?誰よりも頼りにしてるし、誰よりも信じてるんだよ…?
「…わかった。約束…ね?」
「了解っ♪」
グンとスピードを上げる車の振動が心地よくて、熱と体の疲れもピークに来たみたいで。
瞼がすごく、重たくなった。

「りょ…ねむた…い…」
呂律の回らない言葉に、リョウが優しく頭を撫でてくれる。
その手が暖かくて、怪我のことも熱のことも忘れて、なんだかとても幸せな気分になった。




今なら…熱のせいにして素直に言えるかな…。
そんなことを考えている間に、頭の中にどんどんと白い靄が架かってくる。
あぁ…もう少しだけ。冗談に取られてもいいから、この一言を言うだけの時間を頂戴…。
ほとんど自由にならない唇に力をこめて、掠れた声を上げる。
「…りょ…ぉ…」
「……」
「だいす…」
最後の言葉を発せられたのかどうかわからないままに、私の意識は途切れた。
そして車の振動とエンジンの音の中に、小さく響く、低い声を、聞いたような気がした。
「…知ってる、よ…」





END   2005.6.2