●取り残された不安●



「じゃ、行ってくる」
「…行ってらっしゃい…」
玄関の扉がパタンと音をさせて閉じる。
今、その扉を出て行った男の姿を思い浮かべて、胸の奥がチクリとした。



仕事の依頼は、執拗なまでの嫌がらせから身を守ることだった。
依頼人は、今をときめく美人モデル・KINUKOさん。
スレンダーな身体なのに出るトコはキチンと出てて。
何より、美しく艶やかなロングヘアをかき上げる瞬間、
そこから覗く秀でた額と魅惑的な瞳に、世の男たちはイチコロなのだとか。




そんな彼女に嫌がらせの脅迫文が送り付けられたり、事務所が荒らされたり。
はたまた嘘八百のゴシップ記事を流されたりし始めたのは、一ヶ月ほど前からだという。

以後、必死になって対処したらしいのだが、そのうちKINUKOさん本人までもが怪我を負うようになって…。
それで結局、自分たちでは手の打ち様が無いということで、XYZしてきたんですって。



結局、犯人は同じモデル事務所のモデルの一人で。
売れっ子のKINUKOさんにそれまでの大手契約会社を奪われて、彼女さえいなければ…と、思ったのだとか。
浮き沈みの激しい世界だけに、犯人のモデルの気持ちもわからなくは無いけれど…。
でも、仕事は実力で取り返すべき、よね?
犯人も捕まって、事件は一件落着…そう、思ったのだけど…。
案の定と言うか、やっぱりと言うか。
KINUKOさんがリョウを…好きになってしまった。



リョウってあのとおり、スケベでニヤけてて、いかにも頼りなさそうな男だけど。
でも、いざという時はものすごく強くて頼りになって。
何があっても、守ってくれる…そんな安心感を持たせてくれて。
それまでの軽い男は仮面だったんだ…と思って。
(仮面でも何でもない、本性そのもの、なんだけど…苦笑)
それで結局…好きになっちゃうんだよね。
私自身がそうだったから…よくわかるの…///



いつもは依頼人が本気になったと知ったとたん、リョウの熱が冷めて。
仕事の終了と共に、依頼人ともそのまま…っていうのが普通だった。
でも今回、リョウの熱が冷めたと知るや、KINUKOさんの方から猛烈なアタックが始まったのだ。
もともと女性に甘いリョウは強く断ることも出来ず、そのまま済し崩し的に本日、デートする運びとなってしまった。
先ほど出掛けて行ったリョウはモデルたるKINUKOさんに合わせ、
いつものラフなジャケットではなく、
どこから取り出したのか、妙にすっきりとしたスーツ姿。
「そんなの、どこにしまってたのよ?」と聞けば。
「バーカ。俺のワードローブはどんな時にも、完全対応出来るようになってんのさ♪」と、のたまった。



スッと伸びた背筋に、スーツが良く映える。
その眉にイラつきを見せながら、面倒くさそうにシャツの袖口のボタンを留めようとする様は妙に色っぽい。
鍛え上げられた長身の体躯にスーツをまとい、黙っていれば文句なしにイイ男のリョウ。
そしてその隣には、誰もが振り返るほどの美人モデル・KINUKOさん。
二人が並んで歩く様は、きっと誰もがうらやむ、似合いの恋人同士だろう。
そんな二人を想像しただけで、胸が苦しくなった。



…大丈夫。
いつもの依頼人と同じように、リョウは本気になった相手からは逃げる一方だから。
そんな…そんなこと、無いから…。
そうは思ってみるものの、根っからの女好きのリョウのこと。
自分を好きだと言いい、それを積極的に態度で示してくる女性に、悪い顔はしないだろう。
ましてやそれが、今をときめく美人モデルともなればなおのこと…。



KINUKOさんの肩を抱くリョウ。
その胸に、しなだれかかるKINUKOさん…。
そんな映像がありありと目に浮かんで、ギュッと胸を鷲掴みにされたような苦しさを感じた。
嫌な映像を振り払おうと頭をブンブンと振ると、軽い眩暈を起した。
フラリとした足取りでソファに座ると、テーブルの上にサングラスが置かれているのに気がついた。
「慌てて出てったから、忘れちゃったのね…」



デートの待ち合わせまで時間があるからとコーヒーを飲んでいたら、あやうく遅刻するところだった。

大慌てで玄関を飛び出て行った男の後姿を思い出して、さらに胸がムカつく。
「ふ…んだ。のんびりコーヒーなんか飲んでるから悪いのよ。リョウったら、いっつも時間にルーズなんだから…」
サングラスを見つめていたら、KINUKOさんにデレデレと鼻の下を伸ばすリョウの顔が目に浮かぶ。
「…遅刻して、嫌われちゃえばイイのよ。リョウのバカッ!!」
誰もいないリビングで、思わず大声を上げていた。



窓の外は雲ひとつ無い青空。
爽やかな風が吹いて、まさしくデート日和。

この空の下、リョウとKINUKOさんがデートしてる…。
ドコに行くの…?
何をするの…?
リョウは…腕を組むの?
肩を抱くの…?
腰に手を回すの…?
KINUKOさんは…その魅力的な瞳で、濡れた唇で、
抜群の脚線美で、リョウを誘うの…?




気づいたら、涙が頬を伝っていた。
…や、だ…。こんな嫉妬深く、醜い心…。
きっと私、今、とんでもなく醜い顔をしてる…。
誰がいるわけでもないのに、そんな自分を見られたくなくて。
二人がデートしてる、美しい青空を見たくなくて。
テーブルに置き去りにされたサングラスをかけた。
それはもちろん、大きくてブカブカだったけど。
嫌な考えをシャットアウトするにはちょうど良かった。
置き去りにされたサングラスは、まるでそのまま、アパートに一人取り残された私のよう。
サングラスから持ち主たる男の移り香がほのとして…さらに心を波立たせ、新しい涙が頬を伝う。
そしてそのままソファに横になり…いつのまにか、泣き疲れて寝入ってしまった…。



「…何、んなトコで寝てんだよ」
耳元で大きな声がしたかと思ったら、ふいに目の前がまぶしくなった。
眠っていたせいか、頭が上手く回転しない。
えっと、私…?
まぶさしさに目をしばたかせると、目の前に見上げるのは、サングラスを弄ぶリョウの姿。
外はもうとっぷりと日が暮れて、それに反してリビングには、煌々と明かりが照りつける。
「帰って来たら家の中、真っ暗じゃん。誰もいねぇのかと思ったぞ」
…そっか。私あのまま、寝ちゃったんだ…。
サングラスをしてたから夜になったのにも、リョウが帰ってきたのにも気づかなかったんだ…。
すべてを思い出し、泣き続けて腫れているであろう目元を隠すように、ぷいと横を向く。



時計を見れば、デート帰りにしてはまだ早過ぎる9時前で…。

…何、よ。あんなに浮かれて出てったくせに、楽しいデートなはずなのに。
何でこんな時間に帰ってくるのよ。

隠した目元に射るような視線を感じながら、また、憎まれ口をきく。
「…デ、デートはどうしたのよ。アンタお得意の、もっこりデートは。夜はまだ、これからでしょ?」
精一杯の強がりを見せるものの、声が震えているのが自分でもわかる。
「んー?楽しいデートだったぜ?彼女、人目を気にして行ったこと無いって言うからさ、
遊園地に連れてってやったら、これがもう大ハシャギ!!モデルでない、
普通の女の子としてのKINUKOちゃん…すっげぇカワイかったなぁ~♪」

デートを思い出しているのか、案の定、鼻の下がデローンと伸びている。
う゛~…みっともないっ!バカ、リョウッ!!
「ん、で。その後、彼女お勧めのカフェでお茶して、映画見て、イタメシ食って…そんで、空港に送ってきた」
そう言って、ドサリと私の隣に腰掛ける。
思わぬ言葉にふとリョウの顔を見ると、ふっと優しい微笑をくれた。



「…空、港…?」
「そ♪彼女、いよいよ世界に進出するんだと。で、今日が日本最後の日だって言うから。
日本でのいい思い出が欲しい…って。そんで、今日は彼女のリクエストのデートコースを回って来たわけ。
空港まで送ってって、さっきアメリカ行きの飛行機で発ったよ」
「そ、そうなんだ…アメリカに行っちゃったんだ、KINUKOさん…」
とたん、知らず強張っていた身体から緊張が解けて、ほぅとため息がこぼれた。
長い足を組み、ソファの背に肘を付いた斜めの姿勢から私の顔を覗きこむリョウ。
「…心配した?香ちゃん♪」
口元をニィと上げ、ニヤニヤして目で私を探ると、その大きな手でクシャリと髪を撫でてくる。
「大丈夫だ、俺んちはココ。俺が帰ってくるのは、ココだけ…さ」
「…バッ!バッカじゃないの?誰が心配なんてっ!!」
強がるものの、瞬時に顔が赤くなるのが分かる。
「ふ~ん…?」
面白くてしょうが無いというようにリョウの目がクックと笑い、声を漏らす。
~~~っっっ!!!コイツ、絶対人をおちょくって楽しんでる~っっっ!!!



「アンタの留守中に掃除したり洗濯したりで、疲れちゃったの!今日はもう寝るわ、おやすみっ!!」
これ以上からかわれるなんてまっぴらゴメンと、捨てゼリフを残してリビングを出ると、
勢いよく閉めた扉の向こうからクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「…もうっ!まだ笑ってるぅ~っ!!」
心の内をすべて見透かされ、恥ずかしくてしょうがない。
そのままドスドスと自分の部屋に向かい、勢いよく閉めた扉にもたれる。
でも…リョウが帰って来てくれた…。
ココに…私たちのこのアパート、帰って来てくれた…。
今日一日、気づかないうちにずっと緊張していたらしく、身体中から力が抜けていく。
そのまま重力に従って、ズルズルと座り込んだ。
そして気がついたら…部屋で一人、くすくすと笑っていた。




END   2005.6.21